■「宗教的対立」だけではない

 セレカの元幹部で現在は大統領顧問になっているアブドゥレイエ・ヒセーヌ(Abdoulaye Hissene)氏は、この紛争を宗教間対立という表現だけで片付けるのは「まったくの間違いだ」と語る。「モスクを破壊しているのは、本当のキリスト教徒ではないし、教会を攻撃しているのも本当のムスリムではない。彼らは平和の敵にカネを渡された個人だ」

 ボジゼ政権で大臣を務め、現在は反体制勢力のメンバーになったジョゼフ・ベンドゥンガ(Joseph Bendounga)氏は、紛争は「悪いガバナンス、民主主義の軽視、腐敗、人権侵害」のせいで発生したと語る。

 専門家たちは、人口のほぼ50%をイスラム教徒が占めている隣国チャドも、中央アフリカの紛争の原因を作ったとして非難している。チャド政府は2003年、フランスや周辺国の支持を得て中央アフリカのクーデターを支援し、ボジゼ氏を大統領の座に就けた。だが10年後には、そのボジゼ氏を失脚させたセレカを支援しているとして、チャドは非難されている。

 中央アフリカにはダイヤモンドや金など天然資源があるが、長年の失政によって国の発展は遅れたままだ。そんななか、主にチャドやスーダンからのイスラム教徒の貿易商たちがダイヤモンド採掘の拠点や陸運業を支配し、中央アフリカの他の国民よりも豊かな暮らしをしてきた。

 彼らの成功は、首都バンギに最後に残ったイスラム教徒の居住区「PK-5」を見れば明らかだ。この商業地域にイスラム教徒たちは大きな店を所有しているが、小作農たちはここの通りでキャッサバやサツマイモを売るためにやってくる。

 現地人とのこのような社会経済的な格差は、西アフリカではレバノン系住民との間で、東アフリカではインド系住民との間で見られる。このような格差が生み出した嫉妬心が、社会の秩序が失われた時に暴力という形で噴出するのだ。(c)AFP/Christian Panika and Jean-Pierre Campagne in Libreville