【5月27日 AFP】ドイツ系ユダヤ人のエドガー・フォイヒトヴァンガー(Edgar Feuchtwanger)さん(89)は、少年時代に近くに住んでいたナチス・ドイツ(Nazi)の指導者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)にぶつかりそうになった日のことを、今でも鮮明に覚えている──。

 それは1933年、ヒトラーがちょうどドイツの首相になった頃のことだった。ヒトラーはミュンヘン(Munich)の富裕地区にゆったりとした住居を構え、フォイヒトヴァンガーさんの自宅はそのすぐ隣に位置していた。

 当時8歳だったフォイヒトヴァンガーさんは、ベビーシッターに連れられて散歩に出かけた際にヒトラーとぶつかりそうになったという。

「私たちが彼の家のドアの前を通ろうとしたときに、彼が出てきた。ヒトラーは白っぽいレインコートを着ていた」とAFPに語った。

「ヒトラーは私を見た。通りには他にも何人かいた。朝8時30分ごろで、彼らは『ヒトラー万歳』と叫んだ。彼は帽子を少し上げた。民主国家の政治家なら誰でもやるようにね。ただ(ナチスの)敬礼はしなかった。それからすぐに車に乗ったよ」

 ヒトラーと目を合わせたというフォイヒトヴァンガーさんは、その視線について「感じは良かった」と述べた。しかし、「ここは強調させてもらうが、もし彼が私について知っていたなら、私は今この場にはいないだろう。私の名前は彼を激怒させたはずだから」と付け加えた。

 フォイヒトヴァンガーさんの苗字は彼がユダヤ人であることを示し、そして彼のおじで20世紀前半のドイツで最も有名な作家の一人だったライオン・フォイヒトヴァンガー(Lion Feuchtwanger)さんと同じである。

 ライオンさんはヒトラーに関する風刺集「サクセス」を出版。当時のベストセラーランキングでは、ヒトラーの著書「わが闘争(Mein Kampf)」と接戦だったという。

■少し前から異変に気付く

 フォイヒトヴァンガーさん一家は当初、自分たちの身に迫っている危機について、ぼんやりとしか理解していなかったという。

「1935、36年以降は、もう彼の家の前を歩けなくなった。道の反対側を歩くようにしていた。それでも彼の家の前に止めてある車は見えたので、彼が家にいるかどうかは知ることができた」

 フォイヒトヴァンガーさんは当時、ユダヤ人の両親やその友人たちが信じられないようなことが起きるだろうと、子供心にも敏感に感じとっていたという。両親たちが愛する祖国が猛スピードで彼らに背を向け、憎しみをあらわにし、最後には血をみることになるだろうと。

「私たちは1932年の時点で脅威を感じていた。でも、それがどれだけ深刻で、命にかかわる問題にまで発展するとは考えていなかった。その点、私の父はまったく読み違えていた」

 事態が一変したのは、1938年11月9日夜から10日未明にかけて起きた「水晶の夜(Kristallnacht)」からだ。この日、多数のユダヤ人が迫害され、フォイヒトヴァンガーさんの父も自宅で拘束され、ミュンヘン北部の収容所に6週間収容された。

 おじはすでに1933年にフランスに渡っていた。著書がナチスに禁書処分にされたからだ。

 その後、14歳で両親とともに渡英したフォイヒトヴァンガーさんは、後にケンブリッジ大学で学び、英サウサンプトン大学(University of Southampton)の歴史学の教授になった。