【5月6日 AFP】山の村に響き渡る銃声の後に続くのは恐怖の叫びではなく、見物客たちの歓声だ──ようこそ、中国で唯一、銃の所有が認められている村へ。

「私たちは15歳ぐらいのときから銃を持ち歩いているよ」と、木製ライフルの引き金に指を入れたまま、黒のコートできめたジア・シンシャンさん(30)は観光客の写真撮影に応じながら言った。「私たちは中国最後の『銃族』だ」

 中国・貴州(Guizhou)省にある岜沙(Biasha)村の「軍備」は、中国政府と山岳地帯の少数民族との戦いの歴史の名残だ。

 村人たちはライフルの所有を認められているが、発砲できるのは観光客向けのショーのときに限られている。かつて中央政府に対して反乱を起こした少数民族が今や統合されてしまったことの証しだ。「昔は村を守るために銃を使っていたものだ」と、毎日銃を使ったショーをしているジアさんは言う。「今は観光客に見せるために持っているだけだ」

 岜沙は、人口約1200万人のミャオ(Miao)族に属する人々が住む村だ。ミャオ族は1600年代に南下してきた中国と戦い、山岳地帯へと追いやられた。

 ミャオ族の戦士たちは早くも1681年の時点で「銃の扱いについて相当の経験があった」と、ハワイ大学(University of Hawaii)の歴史家ロバート・ジェンクス(Robert Jenks)氏は指摘する。

 1872年、中国軍にミャオ族の指導者が処刑され、ミャオ族の反乱の戦いはついに終わった。中国最後の王朝・清朝が倒れた後に成立した共和国から、ミャオ族は少数民族として初めて、部分的な自治権を認められた。30年後に中国共産党が政権を握ってからもそれは続いた。

 ミャオ族と中央政府との和解は、チベット人やウイグル人など文化弾圧を受けていると主張して戦い続ける他の少数民族とは対照的だ。

 村人たちによれば、銃づくりの職人はもう1人しか残っていない。「1丁仕上げるのに2、3日かかる」と、グン・ラオシェンさんは言う。「父親が教えてくれたんだ。銃が好きだったし、野鳥の狩りもうまかった」

 だが最近では、村人たちは観光業から利益を得る方を好んでいると、グンさんは言う。「今では丸1日かけて猟をしても、何も捕れないかもしれない。働いた金で肉を買うほうが、理にかなっている」

 新品のバックパックを背負って村に観光に来たタン・インさん(27)は、中国で大多数を占める漢民族の女性だ。彼女はミャオ族についてこう語った。「彼らは私たち漢民族と戦うために銃を使っていた。でも今は彼らも多かれ少なかれ、私たちと一緒みたいだ」 (c)AFP/Tom HANCOCK