■協定締結後も対応は不十分

 1954年3月1日に行われた水爆実験から29年後の1983年、マーシャル諸島と米国は水爆実験の影響に対する補償についての規定を含む自由連合協定を締結。米政府が1億5000万ドル(現在の為替レートで約153億円)を拠出して信託基金を創設し、補償を行うことで合意した。

 しかし、それから10年以上たったビル・クリントン(Bill Clinton)大統領の時代に、それまで秘密にされていた水爆実験に関する文書が見つかり、別の数十の島が放射性降下物によって汚染されていたことが判明した。

 ロヤック大統領はこれを、補償に関する協議の中で同国の交渉担当者らに提示されなかった「衝撃的な新情報」だと指摘。「合意が誠実に行われた協議に基づくものでなかったことは極めて明白であり、生じた損害に対する公正かつ公平な補償は提供されていない」と訴えた。

 一方、記念式典の場で英語とマーシャル語で用意した原稿を読み上げたトーマス・アームブラスター(Thomas Armbruster)駐マーシャル諸島米大使は、実験から60年を迎え、「悲しみは筆舌に尽くしがたい」と述べながらも、核実験のおかげで「われわれは現在、より平和になった世界に暮らしている」と付け加えた。

 アームブラスター大使は、米国は今後もマーシャル諸島と協力して、影響を受けたいくつかの島の環境モニタリングと住民への医療の提供を行うと述べた。