【11月14日 AFP】フィリピン中部に壊滅的な被害をもたらした台風30号(アジア名:ハイエン、Haiyan)。暴風にさらされ高波にのまれながらも、何とか生きながらえた人々は幸運だったと言えるだろう。だが彼らが生きていくための苦難は始まったばかりだ。荒れ果てた被災地は無法状態で、食料や飲み水、医薬品も不足している。

 最も大きな被害を受けたレイテ(Leyte)州の州都タクロバン(Tacloban)では、空港裏の通りで、ネルソン・マトバトさん(34)と妻のカレンさん(29)が座り込んでいた。2人のそばには7歳と5歳の娘たちの遺体が収められたベニヤ板で作られた即席のひつぎが置かれている。4歳と生後3か月の息子たちは、まだ行方不明のままだ。

 マトバトさんは「朝の7時ごろだった。家が浸水し始め、あっという間に家全体が水につかった。家族みんなで9時ごろまでに屋根の上に避難したが、家が崩壊し全員が流された。どうすることもできなかった」と話した。

 マトバトさんの隣人のデニス・ダレイさんも、やはり道路脇に座り込んでいる。そばには妹の遺体を収容した布袋が置かれている。ダレイさんは「遺体を回収してもらわないと、異臭が漂い始めている」と語った。

 地元の医師、コラソン・ルビオさんも台風30号を生き延びた1人だが、怖いのは台風が去った後の略奪だという。ルビオさんは「略奪者たちは家々からテレビを持ち去っていく。一体、何のために?電気も通じてないというのに」と話した。

 3人の子を持つセシリア・ベルトランさん(47)は、台風で家を失い路上のテントで暮らしている。救援物資は届いておらず近所の人々に食べ物を分けてもらっているが1日、1食しか食べられていないという。ベルトランさんは「がれきから使えるものをあさって、洗って使っている。今も服を拾ってきたところ。私たちは、もう何も持っていないの」と語った。(c)AFP/Jason Gutierrez