【11月9日 AFP】多数のユダヤ人が迫害された「水晶の夜(Kristallnacht クリスタルナハト)」から75年になるのに合わせ、ドイツのヨアヒム・ガウク(Joachim Gauck)大統領は8日、ユダヤ人従業員を強制収容所移送から救うために闘ったオットー・ワイト(Otto Weidt)さんの元工場を訪れた。

 ベルリン(Berlin)中心部でワイトさんが経営していたブラシとほうきの製造工場は、従業員のほとんどがユダヤ人の視覚・聴覚障害者だった。ガウク大統領は、現在は博物館になっているその元工場をユダヤ人元従業員と共に訪れた。

 ワイトさんは当時、偽の書類を出したり従業員をかくまったりして、ユダヤ人をナチスから守った。旧東独出身の元プロテスタント牧師で人権活動家だった同大統領は、ワイトさんの工場を、困難な時にあっても善を行い、己の良心に従うことを選択した人が確かに存在したことを示す「人間性の小島」だと呼んだ。


 ガウク大統領の博物館訪問に同行したジャーナリストで作家のインゲ・ドイッチュクロン(Inge Deutschkron)氏(91)は、視覚・聴覚障害者でない従業員で、ワイトさんの助けで移送を免れた。 ワイトさんは1971年にイスラエルから「諸国民の中の正義の人(Righteous Among the Nations)」として顕彰された。

「水晶の夜」とは1938年11月9日夜から10日にかけて、ドイツ全土で起きたユダヤ人の迫害のこと。ナチスの暴徒がユダヤ人の店舗を襲ったり、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)に放火したりして少なくとも90人のユダヤ人が殺害され、約3万人のユダヤ人男性が逮捕されて収容所に送られた。割れたガラスの破片が水晶のようにきらきらと輝いて見えたことから「水晶の夜」と呼ばれるようになった。歴史家たちは、この事件が欧州のユダヤ人を根絶するというナチスの動きの先駆けだったと指摘している。事件から75年になるこの週末は、各地で行事が行われる。(c)AFP