【8月15日 AFP】ロンドン五輪で日本選手団が獲得した金メダルは目標を大きく下回ったものの、過去最多のメダル獲得で東日本大震災からの復興を目指す国を後押しした。

 日本経済新聞(Nikkei)は五輪閉幕から数時間後の夕刊1面に、「日本、メダル最多の38個」と見出しを打った。これまでの最多記録は、2004年アテネ五輪の37個だった。

 日本オリンピック委員会(Japanese Olympic CommitteeJOC)は、東京を候補地とした2020年の夏季五輪招致活動に弾みをつけるため、金メダル15個を目標としていたが、柔道での金メダルが1個にとどまるなど、ロンドン五輪で日本勢が獲得した金メダルの総数は7個だった。

 ロンドン五輪の国別メダル獲得ランキングは46個の金メダルを獲得した米国がトップとなり、日本は全体11位だったが、日本選手団の上村春樹(Haruki Uemura)団長は「過去最高を上回ったことは、素直にうれしい。毎日メダルを獲得したのもロンドン五輪以前はない」と語った。

■金メダル総数で目標を下回ったものの、多くの競技で底上げを示したロンドン五輪

 毎日新聞(Mainichi Shimbun)は「金メダル数こそ前回北京の9個には及ばなかったが、銀、銅のメダルに見る者の心を強く打つものが多かった」と大会を振り返り、日本代表団の功績をたたえた。

 競泳陣は最多となる11個のメダルを獲得したが、金メダルには届かず、北島康介(Kosuke Kitajima)は男子平泳ぎの100メートルと200メートルの両種目で3大会連続の2冠を達成することはできなかった。

 2011年に行われたサッカー女子W杯ドイツ大会(FIFA Women's World Cup 2011)で優勝した日本代表は、決勝で米国に1-2で惜敗し、銀メダルを獲得した。

 卓球女子とバドミントン女子では、両競技で史上初のメダル獲得となる銀メダルを手にした。また、バレーボール女子では28年ぶりとなる銅メダルを獲得している。

 一方で、期待通りの金メダルも生まれた。

 体操男子では、世界選手権で前人未到の個人総合3連覇を達成している内村航平(Kohei Uchimura)が初の金メダルを獲得したほか、レスリング女子では吉田沙保里(Saori Yoshida)と伊調馨(Kaori Icho)が3大会連続で金メダルに輝き、小原日登美(Hitomi Obara)も金メダルを手にしている。

 柔道では、女子57キロ級で松本薫(Kaori Matsumoto)が同競技唯一となる金メダルを獲得した。

 大会終盤には、ボクシング男子ミドル級で村田諒太(Ryota Murata)が48年ぶり、レスリング男子フリースタイル66キロ級では米満達弘(Tatsuhiro Yonemitsu)が24年ぶりの金メダルを日本勢にもたらした。

■被災地を勇気づけた日本代表の活躍

 ロンドンでの日本選手の健闘は、2011年3月11日に1万9000人の犠牲者を出した大地震と津波で被災し、原発事故の被害を受けた東北の人たちに勇気を与えた。

 フェンシングの男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した千田健太(Kenta Chida)は、津波で破壊された故郷の宮城県気仙沼市に帰り、12日にはチームメートの太田雄貴(Yuki Ota)、三宅諒(Ryo Miyake)、淡路卓(Suguru Awaji)らとともに凱旋パレードを行った。

 千田は幼少期からの親友であった小野寺諭(Satoru Onodera)さんの墓参りに訪れた。北京五輪で結果を残せなかった千田に金を目指せと励ました小野寺さんは、大震災の津波に巻き込まれて帰らぬ人となった。

 千田はメディアに対し「『諭、やったぞ』と伝えた。彼もきっと喜んでくれていると思う。みなさんの声援が銀メダルを後押ししてくれた。気仙沼に生まれて幸せ」と話した。

 同市で電器店を営む三浦幹雄(Mikio Miura)さんは、千田が市全体を活気づけたと話し、「すごいパワーをもらった。(気仙沼は)間違いなく復興できる。物資やお金もありがたいが、きょうはハートに届きました」と話した。

 毎日新聞はまた、「多くのスポーツ選手がさまざまな形で被災地を励ます活動に関わり、また応援の気持ちも受け取って力にしてきた。今回の日本代表はこれまで以上にスポーツの持つ力、果たすべき役割を胸に刻んでの五輪出場だっただろう」と締めくくっている。(c)AFP/Shigemi Sato