【6月9日 AFP】南アフリカで3日に行われた恒例の「コムラッズマラソン(Comrades Marathon)」は、同国東部の丘陵地帯90キロを駆け抜けるウルトラ長距離マラソンだ。
 
 丘陵都市ピーターマリッツバーグ(Pietermaritzburg)から東部の港町ダーバン(Durban)までを結ぶコースは山あり谷あり、自転車レースのツール・ド・フランス(Tour de France)にも匹敵する難所ぞろい。スタートとゴールは2都市間で1年ごと交替し、今年はダーバンへ向かって下るコースだった。

 国内でも最も険しい5つの丘を駆け抜けることから「ビッグ・ファイブ」の通称を持つこのレースは毎年、まだ薄暗く肌寒い明け方5時半に、録音したニワトリの鳴き声と祝砲を合図にスタートする。テレビ中継のカメラの前で、参加者は不安や期待いっぱいに、母親の名前さえ叫びながら走り出す。観客たちはコース沿道でバーベキューやピクニックをしながら、手を叩いたり踊ったりして声援を送る。

 大半の参加者は約半年間の特別トレーニングを積む。また、対象となる最近のマラソン大会に最低1回は出場していることが参加条件だ。

 今年の優勝者は地元南アフリカのルードウィック ・ママボロ(Ludwick Mamabolo)さん(35)で、記録は5時間31分3秒。地元出身ランナーは勝てないという7年越しのジンクスを破った。最高齢のランナーは83歳だった。

■たとえ最後のランナーでも賞賛

 コムラッズマラソンの歴史はエベレスト(Mount Everest)初遠征と同じ1921年にまでさかのぼる。第1次世界大戦の退役軍人たちが連帯と互いの武勇を称えあうために始めた。

 南アフリカは全人種選挙が実施されアパルトヘイト(人種隔離政策)が完全撤廃された1994年まで、世界のスポーツ大会から排除されていた。その間、コムラッズマラソンが南アフリカ人にとって国際大会の代わりを果たしていた。

 第87回となる今年のレースには、外国人1168人を含む1万9500人以上が登録した。米国から参加したマイケル・ヘインズさん(43)は人道支援活動家だ。現在、活動しているアフガニスタンではいつもルームランナーでトレーニングしている。「このレースで問われるのは、スピードじゃない。人間の精神力と克服力だ」と語る。

 他のマラソンと異なり、カットオフタイムの12時間以内にゴールインすれば、たとえ最後のランナーでも勝者に負けない注目と賞賛を浴びる。

■多彩な歴史とエピソード

 世界最古のウルトラマラソンとして、コムラッズマラソンには伝説や伝統、エピソードも数多い。独自の博物館があり、そこでは這いつくばるようにしてゴールインしたり、担架で運び込まれたランナーのストーリーも、歴代勝者に負けない大きな扱いで紹介されている。

 有名なランナーの1人が、1922年から5回連続優勝を果たした農場主のアーサー・ニュートン(Arthur Newton)さんだ。彼は同志への連帯を示すために優勝トロフィーを1度、準優勝者に譲ったことがあった。このレースの参加者全員に価値があり、勝利に値するというのがニュートンさんの信念だったと、博物館の学芸員は説明する。

 1980年代に9回の優勝を果たし、観客を熱狂させた南アフリカ人のブルース・フォーダイス(Bruce Fordyce)さん(56)は、最終ラップで先頭ランナーに追いつき、追い抜きざまに握手をしながらゴールインしたことがあった。
 
 黒人と女性の参加が許されたのは1975年になってからだ。女子選手の優勝はこの10年ほどロシア人の双子の姉妹、エレナ・ヌルガリエワ(Elena Nurgalieva)さんとオレーシア・ヌルガリエワ(Olesya Nurgalieva)さんが独占している。今年はエレナさんが6時間7分12秒で、7連覇を果たした。

 今年のレースには「裸足(はだし)のランナー」として知られた南アフリカの女子マラソン元五輪代表選手ゾーラ・バッド(Zola Budd)さんも出場し、8時間6分9秒で完走した。46歳になって初めてコムラッズマラソンを走ることには、確かに怖い気持ちもあったとバッドさん。「これまでの人生の中で一番厳しいレースだったけれど、一番素晴らしいレースでもあった」と語った。(c)AFP/Claudine Renaud

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