【3月3日 AFP】東日本大震災による大津波からまもなく1年。大きな悲劇を乗り越えようと懸命な宮城県石巻市で「幽霊」が出るという噂が飛び交っている。

 前年3月に亡くなった人たちのさまよう霊が不幸をもたらすことを恐れて、修復工事が中断してしまったという現場がある。半分だけ修復されたスーパーマーケットを指して、あべ・さとしさん(64)は語る。「工事の人が具合悪くなったって聞いたよ。そこらへん中で死んでんだもの。そういう話は一杯あるよ」

 石巻の一部では、漁港としてにぎわっていた震災前の活気を取り戻しつつある場所もある。住宅が再建され、商売が再開され、子どもたちが学校へ戻って来ている。しかし東北で犠牲となった約1万9000人のうち、およそ5分の1は石巻の住民だった。元通りになると思っている人はほとんどいない。

 ささき・しんいちさんは3月11日の記憶は決して消えず、その消えることのない記憶が「亡霊」を生んでいると語る。「あの日のことはふと何度も思い出すんです。まして、どこで誰が亡くなっているか知っていれば、突然なことなんで、まだうろうろさ迷っているって思うこともあるかもね。自分は幽霊なんて信じるほうではないんだけど、こういう風に噂がでるのは分かる」

 あるタクシーの運転手は、大津波ですべてが流されてしまったところには止まりたくないとAFPの取材に語った。乗り込んできた客が幽霊だったら・・・と思うからだという。石巻に住むある女性は「幽霊の列」の噂を聞いたことがある。生きていた最後の瞬間の不毛な努力をなぞるかのように、幽霊たちは丘へ向かって殺到し、津波から何度も何度も逃げようとするのだという。

 カウンセラーや学者たちは、大きな災害や悲劇の後の幽霊話はいたって一般的で、社会的な「癒しのプロセス」の一形態だという。

 文化人類学者の船曳建夫(Takeo Funabiki)氏は、こういった類の話が流布するのは「当然だ」と考える。 「人間は本来『死』を受け入れられないものなのです。まして突然の、異常な形での死――年をとってベッドの上で死ぬという形でない死――は昔から人間にとって最も受け入れがたい。その社会で納得できなくてたまっているものがどう表現されるかというと、噂話であったり、まつりの中で供養するなどということになります。社会的に共有できるものに変えるということがポイントです」

 最愛の人を失った人々の一部は、魂を慰めるために神職を招いたり、お盆に霊を迎える準備などをした。

 しかし、信心によっても喪失を乗り越えがたい人もいる。日本カウンセラー学院(Academy of Counselors Japan)の心理カウンセラー、池田宏治(Koji Ikeda)氏は「被災地の人は恐怖、不安、悲しみ、帰ってきて欲しいという気持ちなど色々な感情をもっている。心の中で処理しきれない非常に多くの感情が霊の投影という形で現れたと考えることができます」と語る。「(被災後の)色々な感情は溜め込んでいられなく、表現していかないといけない。現実に適応していくために、前に進むために必要だから、起きていることでしょう」

 石巻で実際に幽霊を見たと表だって話す人はほとんどいないが、荒涼とした道をさまよう幽霊を受け入れる気持ちがある人は多い。すぎもと・ゆうこさんは、自分は特別迷信深いわけではないし、幽霊を見たこともないという。けれど「普通に生活してた人が突然亡くなったので、受け入れたくないと思っているんでしょう。出ない方がおかしいと思います」と語った。 (c)AFP/Miwa Suzuki