【4月18日 AFP】シューズデザイナーのジミー・チュウ(Jimmy Choo)は、家族が経営するマレーシアのシューズ工場でキャリアをスタートし、世界的に知られるデザイナーへと成長を遂げた。現在はオート クチュール・シューズ作りに情熱を注いでいる。

■父から受け継いだ靴職人の血

 マレーシア西北部のペナン(Penang)島出身のチュウは「私の体には“靴職人の血”が流れています。シューズ業界で働く運命にあったのです」 と語る。 

 初めてシューズを作ったのは11歳の時だった。「父の指導を受けながら、母のためのフラットサンダルを作りました。父は、完璧なシューズが出来上がるまで決して満足しなかった。彼がいなければ、現在の“ジミー・チュウ”は存在し得なかったでしょう」と振り返る。

■ダイアナ元英皇太子妃も愛用

 その後、レストランや靴工場で働きながら、靴専門学校コードウェイナーズ・テクニカル・カレッジ(Cordwainers Technical College)に通った。「両親の経済的負担を軽くするため、勉強しながら働くことがとても重要でした」とチュウ。

 1980年代後半にはロンドンに作業場を構えた。作品が「ヴォーグ(VOGUE)」にとりあげられると、世界からチュウに注目が集まった。さらに、ダイアナ元英皇太子妃(Princess Diana)がシューズを履いている姿が撮影されたことで一層人気が高まった。

■オートクチュールの道へ

 チュウは、タマラ・メロン(Tamara Mellon)と共同で「ジミー チュウ」ブランドをスタートするが、2001年に自分が所有していた株式を売却。現在は、ロンドンを拠点にオートクチュール・シューズ作りに専念している。

 最近は急速に経済成長を遂げる中国の新富裕層からの注文が増えている。「我々のデザインに多くの中国人が興味を持ってくれてい るようです」とチュウ。「不景気によってビジネスは影響を受けてきました。例えば、結婚を延期したり、消費を抑えたり。しかし、我々の顧客はいまだに購買力がかなりあるため、私たちはそれほど影響がありませんでした」
 
 チュウはプレタポルテで大きな成功を収めたにもかかわらず、「オートクチュールしかない」と確信してきた。「要求に応えれば、顧客は戻ってくる。一度 オートクチュールを経験すると、もう戻れなくなります」「人がシューズに合わせる必要はない。シューズこそ、人に合わせるべきなのです」

■シューズデザインは芸術の一種

 チュウはインタビュー中も、コーヒーテーブルの近くにあった花の装飾品からインスピレーションを得たという女性用シューズをスケッチしはじめた。「シューズデザインは芸術様式の一種なのです」とチュウ。「アイデアは日々の生活の中からやってくる。しかし、それは構造的に理にかなったも のでありながら、芸術的に美しいものでなければならない」

■タマラ・メロンとの関係…

 現在「ジミー チュウ」のチーフ・クリエイティブ・オフィサーを務めているタマラ・メロンとの関係については、チュウは「私たちはかつて一緒に働いていた。けれど、今は 別々の道を行っている。それだけだよ」とコメント。

 さらに「私はかつてのパートナーのことを悪く言ったりはしないよ。彼らには上手くいってほしいと願っている…技術と才能があれば、何も恐れる必要なんてないんだ」と加えた。(c)AFP/Joyce Woo

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