東西分断されていたドイツの村、「リトル・ベルリン」
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■押し寄せた興味本位の観光客
東メドラロイトに暮らすことは、扉のない牢屋にいるような生活だった。許可なしではお互い行き来することもできなかった。「近くの町で通勤していた近くの村人たちは、仕事場まで毎日3か所を検問所を通過しないと行けなかった」とフリードリッヒ元町長は言う。
ベルリンの壁が崩壊した1989年11月9日の晩、村人たちは寝静まり、「分断」が終わりを告げたことに気づかなかった。しかし、その影響は1か月後にメドラロイトにも押し寄せた。メドラロイトでも行き来ができるよう壁が切り取られたのは土曜日で、村人たちは通行が自由になるのを心待ちにして、壁の両側に並んだ。家族や旧友、近所の人たちとの23年ぶりの再会だった。
最初に東側に足を踏み入れたのは、フリードリッヒ元町長だった。「自分の事務所にいたら、電話が掛かって来たんだ。町長、急いで来てくださいと」
しかし、メドラロイトの人々はその歴史を語るのにいささかくたびれてもいる。壁が除去されると、遠方からも観光客が押し寄せ、カメラを持って個人宅の庭先まで村人たちを追い回すようになった。 「西ドイツ人の観光客らは、村中の家のドアをノックしてまわった。東側の暮らしぶりを知りたがっていた。水道はあるのかとか、テレビは見れるのか聞かれた」と、地元博物館のディレクター、Robert Lebegern氏は語る。
「まるで、動物園に住んでいるようだったよ」 (c)AFP/Yannick Pasquet