【9月24日 AFP】5歳の時に目の前でナチス・ドイツに家族を殺されたユダヤ人の少年が、終戦まで、ナチスのマスコット・ボーイを務めていたという実話が本人により明らかにされた。

 この人物はアレックス・クルツェム(Alex Kurzem)さんで、終戦までナチスのラトビア親衛隊(SS)のマスコット役を演じていた。事実上の保護者となったナチス兵士にユダヤ人であることを知られまいと必死に身元を隠したクルツェムさんは、終戦後も50年以上、このことを誰にも話さず、つい最近、息子のマーク(Mark)さんにすべてを打ち明けた。

 秘密は「骨の中の毒蛇のように自分をさいなんだ」と語るクルツェムさん。戦後移住したオーストラリアで、自分の体験をつづった本を出版した。

 「The Mascot」と題したその著書は、当時のことをあまりに詳細に記していたため、ナチスのユダヤ人大虐殺(ホロコースト)を調査する当局は当初、この話を信用しなかったが、息子のマークさんが裏付けとなる文書、写真、映画フィルムなどを発掘し、真実であることが証明された。

 クルツェムさんの正確な出生記録などは廃棄されてしまったため、本当の年齢は現在も不明。おそらく72歳と見られるが確証はない。ベラルーシのKoidanovの村に生まれ育つが、1941年10月20日にナチスが村を襲撃する。

 近くの林に逃げ込んだクルツェムさんは、木の上から、ナチス兵士が母親を射殺し、兄弟たちを銃剣で刺殺するのを目撃してしまう。

 その後、数か月にわたり林をさまよったクルツェムさんは、死体から大人用の衣服を借用、木に登ってオオカミの襲撃などから逃れたていたが、ある日森の住人に捕まってラトビアの警察に連れて行かれた。この住人は、ユダヤ人抹殺計画を実行していた当時のナチスに恩を売るつもりだったと見られる。

 しかし、クルツェムさんを預かった巡査は、強制収容所送りになるユダヤ人のグループからクルツェムさんを引き離し、「決してユダヤ人であることを明かしてはならない」と言い含める。それがなぜだったのか、クルツェムさんには今でも謎だという。

 「あまりにも多くの殺戮(さつりく)を目の当たりにして、小さな少年に哀れみの情を感じたのか。わたしがユダヤ人ではなくてナチスの言うアーリア人(ユダヤ人以外の白人)に似ていたからだろうか」とクルツェムさんは欧州なまりの英語で語り、「やはり、アーリア人に似ていたから助かったんだろう」と結んだ。

 クルツェムさんは、この巡査が所属していたパトロール部隊のマスコット・ボーイになった。警官の制服が与えられ、後に部隊がヒトラーの親衛隊(SS)に統合されると親衛隊の制服も与えられた。

 「わたしは彼らを楽しませた。小さな少年が制服を着てナチスの敬礼をしてみせるとみんな笑った。前線で戦う兵士の緊張を解く役割を与えられたんだ」

 1990年代になり、秘密を1人胸にしまっておくことができなくなったクルツェムさんは、息子のマークさんに告白。マークさんは、父の過去について調査を開始する。

 クルツェムさんが子供時代に目撃した事件の場所や時間はあいまいだったうえ、出生当時の自分の名前すら覚えていないかったため、その話はなかなか信じてもらえなかった。

 しかしマークさんは、ラトビアの国立記録保管所から、少年時代の父親がナチスの制服でナチス兵士に祝福されているフィルムを発見し、真実が証明された。

 すべてを語り尽くしたクルツェムさんは、「ようやく過去の亡霊を葬ることができた。50年以上前、『早く逃げなさい』と息子を逃がしてナチスに撃たれた母の墓に、ようやくバラの花を手向けることができる」と話している。(c)AFP/Neil Sands