【トビリシ/グルジア 14日 AFP】首都トビリシ(Tbilisi)に残る旧ソ連邦時代の工場では、建築技師のSandro Ramishviliさんが帆船を造っている。完成した船で家族とともに、世界一周の航海に出ることが彼の夢だ。

 黒海から240キロも離れた山岳地帯にあるトビリシでの、帆船製造は現実的ではない。しかも、グルジアには元来、船に乗る習慣がない。しかし夢の達成に、そうしたことは無関係だ。
 「ずっと、山の向うに広がる世界を知りたいと願っていた。それで、ボートを造ることを思いついたんだ」

 こうした、海外への進出に前向きな行動は、グルジアが隣国ロシアによる大規模な経済制裁を科された6か月間、むしろ経済を好転させながら乗り切ることができた要因と関連する。

 2006年、グルジアは10億ドル(約1160億円)もの外国資本を誘致。同時に、国内企業も海外市場への進出を目指し積極的な活動を展開した。

■ロシアの厳しい制裁も、経済は好調を維持

 中世に建てられた教会が多く残る山間の国、グルジアが春を迎えるころ、人々はロシアの制裁を耐えしのいだだけでなく、絶対的な競争力をも身につけたことを悟るだろう。ある欧州の外交官は匿名を条件に、「ロシアによる制裁がグルジアの屈服が目的だったとすれば、まったく逆の結果が生まれた」と語った。

 親欧米派のミハイル・サーカシビリ(Mikheil Saakashvili)大統領と対立していたロシアは、グルジアからの農産物の輸入禁止措置を発動。それに続き、ワインとミネラルウォーターの輸入も禁止した。

 さらに前年10月、グルジア政府がロシア政府関係者4人をスパイ容疑で国外追放処分としたことに対抗し、ロシア側は全グルジア製品を禁輸対象としたうえ、交通も遮断した。また、グルジア移民数百人をロシア国内から追放したため、多くの人々が厳しい状況下に置かれる結果となった。

 こうした制裁措置により、ワイン製造をはじめとするグルジアの農業や航空業界が大きな痛手を受けたが、全体的に好調だった経済により赤字は相殺された。

 国際通貨基金(IMF)によると、2007年のグルジアのGDPは縮小が予想されるものの、依然、6%と好調を維持する見込みである。国内のアナリストのなかには、9%前後の高いGDPを予測する向きもある。

 このように好調な理由について、観測筋は、グルジアがロシア依存の旧経済システムから脱却し、経済の多角化を図ったことが成功したとみる。だが、その過程は大きな苦労を伴うものだった。

■新たな市場開拓を模索するワイン産業

 禁輸措置を発動した2006年3月以前まで、ロシアはグルジア産ワインの80%を輸入する上顧客だった。同国経済全体におけるワイン産業の割合は小さいが、グルジアにとってワインが持つ象徴的な意味合いは大きい。

 ワイン醸造業、Teliani ValleyのGeorge Kipianiさんは、「グルジアのワイン業者にとって、ロシア市場はいわゆる『金を生む牛』だった」と語る。

 それでもKipianiさんによれると、Teliani Valleyは他の業者に比べ、損害は少なかったという。なかには、ロシアへの大規模進出を計画しながら最終段階においてすべての取り消しを余儀なくされた業者もいるという。

 Teliani Valleyは現在も、グルジア産ワインブランドが確立しているロシア市場への復帰を期待しているという。しかし同時に、欧米市場における新顧客の開拓にも力を入れている。Kipianiさんは、「われわれ独自のニッチ市場を開拓する必要がある。現在は特に、英国の市場に関心がある。英国人は常に新しいものを求めているから」と語る。

 Teliani Valleyは2006年、すでに米国で10万本を売り上げており、2007年は2倍の売上を見込む。一方、新たなターゲットとしてカナダ、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンでの市場開拓を目指す。

 写真はTelaviのブドウ畑で収穫する人々(2006年4月14日撮影)。(c)AFP/VANO SHLAMOV