【7月5日 MODE PRESS】1978年に故ジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace)が立ち上げた伊ファッションブランド「ヴェルサーチ(VERSACE)」。ジャンニが50歳のとき、帰宅途中に殺害された後、1997年に妹のドナテラ・ヴェルサーチ(Donatella Versace)と兄のサント(Santo Versace )は姉妹ブランド「ヴェルサス ヴェルサーチ(Versus Versace)」も含め、ブランドの経営を引き継ぐことを余儀なくされた。だが、ドナテラはブランドの経営は望んでいなかったという。

 ヴェルサーチ一家に近い情報筋が米ピープル(People)誌に語ったところによると、「ドナテラはいつのまにか自身が望んでいなかった、ブランドの決定権を持ったスポークスパーソンになっていたことに気づいた」「しかし、ドナテラはブランド全体の責任を負うのではなく、ジャンニの妹として、その周辺で輝く存在でいたかったのだと思う」

 兄の悲劇は、特に仲の良かったドナテラの心に大きな傷を残したと伝えられている。情報筋は「ヴェルサーチ一家はお互いに非常に親密だった。特にドナテラとジャンニはとても仲が良かった。先見性や創造力、情熱のある、言わずと知れたリーダー、ジャンニを失ったとき、大きな悲しみに包まれたことだろう」と付け加えた。

 ドナテラはブランドの経営を望んでいなかったと伝えられているものの、ジャンニの友人だったハル・ルービンスタイン(Hal Rubenstein)は、ヴェルサーチを引き継ぎ、経営に成功したとして、ドナテラを称賛している。ハルは「ドナテラに任された重圧は相当なものだった。しかし、このブランドが成功し、20年たった今でも存在しているという事実。その成功の一部はドナテラによるものだ。ドナテラは強かった」「90年代の伊ミラノ(Milan)のファッション界には、アルマーニ(Armani)とヴェルサーチという両極端の2大ブランドがあった。それ以外のブランドは両者の間に位置していた。そのような状況の中で、ドナテラはブランドを維持しなければならず、大変な重圧だったに違いない」とコメントした。

 ジャンニの死から1年後にドナテラは、ミラノファッションウィークで初めて自身のヴェルサーチコレクションを発表し、デビューを果たした。だが、ドナテラと家族の悲しみは消えず、喪失感は続いた。情報筋は「ヴェルサーチが死亡した数年後に家族らに会ったが、プライベートでも、仕事面でも、何が起こったのかを理解し、現実を受け入れるまでに数年かかった」と話している。(c)Bang Showbiz/MODE PRESS