■習慣化する過剰消費

 消費行動は、僕たちの生活と切っても切れない関係性にある。しかし、消費と自ら断絶することは可能なんだというシンプルな事態をこの映画は教えてくれる。

「消費行動自体は、中毒性があるというよりも、過剰消費が習慣になっているケースが多いと思う。何かが必要だと思っているときのほとんどは、何かを欲しているだけのことが多い。僕自身同じ様に何も考えずに過剰にものを買い、消費をしていた。自給自足的に、大切なものは全て自分で所持しておかないといけないと思い込んでいた。その考え方自体を手放すために、この実験をはじめたんだ。そして、この経験を通じてたくさんの人が自分を支え、助けてくれることに改めに気づいた。むしろ、彼らがこのプロジェクトを可能にしてくれたんだ。全てを自分自身で所持する必要性は、どこにもない。さらに言えば、僕たちは日常会話で何を買ったかについて話していることが多い。もちろん僕は実験中何も買わなかったから、実験中に僕とランチに行った友達は、買ったものの話をしている途中で僕が何も話せないことに気づいて、他の話題に話を移そうと焦る場面もあったよ。実験中の僕は新しく買ったもののネタがなかったから、結果的に周りの友達に消費行動について考える機会を与えることになった」

 実験終了後、たくさんの人から「実験中は大変だったね」と哀れみのコメントをもらったが、ペトリ自身は今までの人生で1番良い年であったと語る。

「ものは面倒な作業を楽にし、人生を彩り、幸せにしてくれると僕たちは思い込んでいる。でも同時に僕たちはものに奪われているものがあることを忘れてはいけない。例えば車を買うとして、まずお金を奪われる。保険も入らないといけないし、どこへ出かけても駐車しなければならないし、メンテナンスもしなくてはならない。ものを所持することは、労力を奪われることと同義なんだ。だから何も買わなかったこの1年は、無駄な労力をさかなくてよかったから、最高に自由で身軽だったよ」

■崩壊する“見栄消費”

 フィンランドは国全体として、ものを大切に使う文化があり、リペア・リユース・リサイクルを基盤とするシンプルライフを送っている。国別の幸福度ランキングでも常に上位に位置する国だ。彼らの暮らしは、高度経済成長時代のなごりである「高級思考消費」を根本から問いただしてくる。

「20年前は赤いフェラーリを買うことがかっこいいと思われていた。でも今、フェラーリを買っても、誰もかっこいいと思わない。地位の象徴としての高級車やマイホームは、もう意味をなさない時代になってきていると思う。そして消費に対する興味関心は、僕たちが何を食べるか、何を着るかに移ってきていると感じるよ。社会全体的に見てものが減ってきているし、低消費主義の方が幸せだと、本能的に僕たちは知っているのではないかな」