【5月24日 AFP】4月に死去した英国のマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)元首相の葬儀にハンドバッグデザイナーが招待されていたことは、あまり知られていない。しかしそれは“鉄の女”と呼ばれた彼女が、当時男社会中心の英国政界でファッションをイメージ作りの戦略に取り入れたことを意味している。

■仕立ての良い服を着るということ

 かつて故フランソワ・ミッテラン(Francois Mitterrand)元仏大統領はサッチャー氏を「カリグラ(古代ローマ帝国の愚帝)の目とマリリン・モンローの唇を持つ」と印象的な表現をしたように、そのスタイルもまた、権力の誇示と女性らしさを兼ね備えたものだった。サッチャー氏のスタイルで最も重要なものとしては、大臣たちを震え上がらせた“ハンドバッグ”の存在が大きく取り上げられてきた。しかし、ブルーのスカートスーツや肩パッド、真珠のネックレス、ふわりとした髪型など彼女のすべてがアイコンとして今も語り継がれている。

 そのため、4月17日にセントポール大聖堂(St Paul's Cathedral)で行われた葬儀の主賓リストに、アクセサリーデザイナーのアニヤ・ハインドマーチ(Anya Hindmarch)の名前があったことはさほど驚くべきことではなかった。サッチャーは「アニヤ・ハインドマーチ」の多くのセレブ顧客の一人だったのだ。

 サッチャー氏は1985年にテレビのインタビューで「仕立ての良い服を着るというのは女性らしさを排除することでありません。実際、仕立てのいい服を着ていると、人はこれから発言する内容に集中するのではないでしょうか。なぜなら誰も服を気にする必要がないからです」と語っていた。

■“サッチャー・ルック”の確立

 サッチャー・ルックは、ヘアスプレーでカッチリと固められたまるで“黄金のヘルメット”のようなヘアスタイルから始まった。政権の座につく前のサッチャー氏は帽子を好み、党大会のスピーチでも派手なストライプ柄の帽子をかぶっていた。しかし、メリル・ストリープ(Meryl Streep)が主演を務めた映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙(The Iron Lady)』の一幕に見られるとおり、党首に立候補すると同時に帽子は消え、髪型はふわりとしたオールバックに切り替わった。

 “帽子をかぶらない”ルールの例外としては、1988年、ドイツの戦車チャレンジャーに乗車したスタイルが印象的だ。その際にサッチャー氏は、クリーム色のスカーフを頭に巻き、保護用ゴーグルを着用した姿で登場した。
 
 サッチャー氏のスタイルは、彼女の政治手法の進化も表している。1970年代、2人の子供の母であるサッチャー氏は女性有権者らが着ていたカラフルなドレスを好んでいた。その“主婦ルック”を取り入れることで、家計のやりくりに苦労する主婦らの共感を得て、票を獲得しようとしていたのだ。

 しかし、初めてダウニング街10番地(首相が住む官邸)に入った1979年5月4日、そのスタイルはブルーのスカートスーツに一変した。保守党の色であるウルトラマリンブルーのテーラードジャケットにしっかりとプリーツの入ったスカート、白×青のパターンシャツをあわせたスタイルは、国会で欧州統合への反対を述べた有名な「ノーノーノー」演説の時を含め、繰り返し何度も着用された。

■ダイアナ元妃と並ぶパワードレッサー

 サッチャー氏は、その服の多くを英小売大手「マークス・アンド・スペンサー(Marks and Spencer)」でまとめ買いしていると当時言われていたが、彼女のお気に入りは英老舗ブランド「アクアスキュータム(Aquascutum)」だった。1987年のモスクワ訪問時には、同ブランドが提供したファー付のキャメルのコートを着用した。英デーリー・テレグラフ(Daily Telegraph)紙のファッションジャーナリスト、ヒラリー・アレキサンダー(Hilary Alexander)は、ソビエト訪問時のワードローブは「世界中のメディアの見出しを飾り、サッチャー氏をダイアナ元皇太子妃(Princess Diana)と並んでここ数10年のうち最も重要な“パワードレッサー”の一人にした」とコメントしている。

 しかし、サッチャー氏は堅実かつ実用的な人物でもあった。彼女は1984年のテレビのインタビューで「私は2種類の格好しかしていません」と言い、その一つについて「一着のクラシックなスーツと多種多様なブラウスの組み合わせ」だと説明した。また、「飛行機で海外へ行く際は、コートとドレスというスタイルが楽だと気付きました。それはあるシンプルな理由で、飛行機に乗った瞬間にコートを吊るしておき、降りる時には羽織れば、洋服がシワだらけになる心配はないからです」とも語っている。

 昨年9月にはサッチャー氏のスーツ7着がオークションに出品され、1975年に保守党党首となった日に着用していた翡翠色の服も含め、総額7万3000ポンド(約1120万円)の値がつけられた。

■権力の象徴、黒いハンドバッグ

 サッチャー氏のスタイルにおいて、1980年代に流行し、ダイアナ元妃にも好まれたプッシーボウのブラウスは女性らしさを与える役割を果たした。またサッチャー氏は、伝統的かつ華美すぎない真珠のネックレスも常に身につけていた。しかし、彼女の真のシンボルは、黒く四角い「アスプレイ(Asprey)」のハンドバッグだった。夫デニス(Denis Thatcher)とダウニング街に引越した際にも、レーガン(Ronald Reagan)元米大統領とミハイル・ゴルバチョフ(Mikhail Gorbachev)元ソ連大統領との首脳会談にも、重要な場面では必ず同じバッグを使っていた。

 当時の政治風刺漫画ではしばしば、サッチャー氏がこのバッグで政敵を打ちのめす場面が描かれており、1985年から1990年までサッチャー政権の閣僚だったケネス・ベイカー(Kenneth Baker)卿は、このバッグを同氏の「秘密兵器」と呼んでいた。サッチャー氏は、このバッグを“権威の象徴”として机上に置いて閣議に臨み「メモを取り出しては決定的な論拠を提示したものだった」とベイカー卿は回想する。この有名なバッグは、2011年のチャリティオークションで2万5000ポンド(約390万円)で落札された。

 しかし、当時の同僚ジョン・ガマー(John Gummer)元議員は彼女の女性らしさも認めている。「彼女はとても美しい女性だった。美しい手と愛らしい足首を持ち、それらを的確に利用する方法を知っていた。彼女がいかに装い、そして女性らしさを失わずにいたかを見ることができて嬉しかった」と、サッチャー氏の死後、語った。(c)AFP/Danny KEMP