【11月8日 MODE PRESS】ラグジュアリーブランドや大手アパレルの不振をよそに、いわゆるファストファッションとされるブランドが好調な売れ行きを続けている。安いだけではなくて、トレンドを盛り込んだ回転の早い品ぞろえが買い手の心をつかんで飽きさせないことがその理由だろう。世界的な経済不況が続く中ではこれも当然のように思える。だがよく考えてみると、たとえば15年前には、ファッション界でこんな現象が起きるとは多くの人が思わなかったことなのだ。

■ファッションの民主化

 ファストファッションの肯定的な特徴の一つは、「H&M」などがよく言うことだが、「民主的」ということだろう。近代ファッションは、英国やフランスの市民革命などによって引き起こされた民主主義社会の誕生と共に生まれた。身分にとらわれず、誰でも自分が好きな服を自由に選べるようになったためだ。しかし、新しくて美しい服を買える経済力や、それを作りだしたりいち早く感じ取ったりする感性はあくまで一部に限られていた。そのためファッションは現代に至るまで決して民主的などではなかった。

 では、多くの人が手に入れられるようになった「民主的」なファストファッションの服は、新しくて美しいといえるのか? または、今はダメでもそのうち新しいクリエーションを打ち出す可能性があるのかどうか? そう考えてみると、今のところはネガティブな評価しかできないし、今後もたぶんダメだろうとしか思えないのだ。

■マルジェラ本人はどう感じているか

 現に、ベーシックスタイルが基本の「ユニクロ(UNIQLO)」はともかくとして、数百人のデザイナーを抱えている「H&M」や「ZARA」がこれまで独自のスタイルを生み出せず、コレクションブランドやストリートのコピーしかできていない。デザイン性を打ち出すためには、有力デザイナーやそのブランドとコラボするしかなかった。たとえば「H&M」の「ステラ マッカトニー(Stella McCartney)」や「コム デ ギャルソン(Comme des Garcons)」などとのコラボ作品はそれなりの出来だったが、一時的な限定作でしかなかった。

 ユニクロと「ジル・サンダー(JIL SANDER)」のコラボもやはりそうした一時的なものだった。このコラボが生み出した「+J」は、ジルのかつてのオリジナル作品と比べると服のラインと素材感との痛々しいほどミスマッチな不自然さが拭えなかった。

 この10月にはニューヨークで、「H&M」が新たに「メゾン マルタン マルジェラ(Maison Martin Margiela)」と開始する本格的なコラボ・シリーズを発表した。まだ写真でしか見られないのだが、この組み合わせはユニクロとジル・サンダーをはるかに上回る無理筋としか思えない。マルジェラは確かにユニバーサルで民主的な服を理想として掲げていたが、それはあくまで近代ファッションの大量生産システムとは全く別の考え方と作り方で実現することを目指していたからだ。今はもうファッション界から去ってしまったマルジェラ本人が聞いたら、このコラボは悪い冗談だとしか思えないだろう。

■民主化による問題点

 ファストファッションの問題点の一つは、それが結局は大量生産に基盤を置いていて服を消耗品化し、大量の資源消費と廃棄物を生み出すことだ。こうしたモノ作りのやり方は近代の産業社会化の初期に盛んだった方式で、もう19世紀の終わりごろから何度もそれがもたらす深刻な弊害が指摘されてきた。そうしたことに、形としてはアナログとしか思えないファストファッションはどう応えていけるのか?

 もう一つの問題は、ファストファッションの低価格志向はそれを作る人にとってはつらいものだということ。安くてそれなりの品質の服を作るためには、どんどん賃金が下げられ、非正規雇用になり、またはより人件費の安い外国への発注・生産によって職を失う危機にさらされる。買う方にとってもそれは無縁のことではなく、結局は安い服しか買えないようなレベルまで給料が下がってしまうことになる。実際に、日本だけではなく多くの経済先進国ではファストファッションが隆盛になり始めたころから賃金低下現象が現実問題起きているのだ。

■失ってしまったものとは・・・

 だがファストファッションの隆盛はまだしばらく続くだろう。ユニクロの素材開発や品質管理、またコラボを重ねながらデザイナーチームの長期的育成に取り組んでいる「H&M」の可能性など評価すべき点もある。だが、ついでにもう一つ問題を挙げておけば、少なくとも現状でのファストファッションを日常的なファッションのスタイルとして受け入れてしまうと、それはファッション感覚の停滞や鈍化を引き起こしてしまうのではないか?という疑念だ。

 取り越し苦労かもしれないのだが、近代の大量生産・消費システムがもたらした物質的豊かさによって、我々はとても多くのものを失ってしまったと思うからだ。そして失ったのは、ものだけではなくて、そうしたものたちの価値を理解する感性だったと思う。【上間常正】(c)MODE PRESS