【9月20日 MODE PRESS】~カジュアル・ダウン化が進む世界~

 ニューヨークは訪れる度に発見がある街だ。既に20回以上訪れているが、今年5月に一年ぶりに訪れた際も幾多の発見があった。なかでも一番印象深かったのは、とにかく人々の装いがカジュアルになっていることだ。街を歩いても、地下鉄に乗っても、高級レストランに行っても、スーツやネクタイをしている人が本当に少ない。滞在中に仕事の打ち合せや取材で、幾つかのオフィスにも訪れたが皆、実にカジュアル。ウォール・ストリートに行けばスーツ姿の金融関係者を眼にするのだろうが、アップタウンもダウンタウンも、東京と比べるとはるかにスーツ姿を目にすることがない。女性もいわゆるコレクション・ブランドの流行の服を着ている人を東京のように頻繁に目にすることはなく、街全体が急速にカジュアル・ダウンした印象を受けた。

 カジュアル化が進むのはニューヨークの話だけではない。イギリスのBBCニュースが英国の2000人のビジネスマンに調査したとこと、スーツを毎日着るのは10人に一人という結果が出たという。(2011年2月11日付けニュース)
※参照リンク(1)  

 さらにイギリスの「インデペンデント」紙2012年5月4日号は、「世論調査の結果、74%の人々が、ネクタイは今後50年以内に消滅すると予測している」という記事を掲載しており、その傾向は、フェイスブックやグーグルのようなカジュアルを好み、フォーマルな装いを避ける傾向を持つ情報通信会社の急成長が影響していると述べている。
※参照リンク(2)

 またラグジュアリー・ブランドのコンサルティングを行なうパリのルックス・コー(Luxe Corp)のディレクターであるウチェ・オコンコウ(Uche Okonkwo)の著書『ラジュジュアリー・オンライン(Luxuary Online)』(2010年)で、彼女は「今の消費者はラグジュアリー・ブランドへの渇望を執拗かつ激しく煽られることに対して、“ラグジュアリー疲労”とも呼ぶべき兆候を見せている」として、人々がもっと本質的でパーソナルなものを求める傾向を論じている。
※参照リンク(3)

 これらのように、ファッションを取り巻く環境に大きな地殻変動が起きているのは間違いない。

~ソーシャルメディアがコミュニケーションを変える~

 では、なぜ人々がこれほどカジュアルになったのか。東京よりも明らかにスマホ率とタブレット率の高いニューヨークの人々の様子を見つつ思ったのは、ソーシャルメディアの影響が大きいのではないかということだ。地下鉄の中で、カフェやレストランで、かなりの人がTwitterやフェイスブックを利用し、それらが日常化した街の中で、もはや人々は外見に気を使わなくなってきたのではないか。もう人々は見栄を張ることを止めたのではと。

 先のインデペンデント紙の記事が示すように、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)、グーグルのラリー・ペイジ(Larry Page)、アップルの故スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)などの時代を代表するIT系企業のトップは、公の場でもかなりカジュアルな装いで知られる。情報の覇者は巨万の富を得ても着飾らない。ならば彼らの信奉者も同じ価値観を共有して当然だ。

 なぜ着飾らないのか。それは今や人々の人格はネットの世界で好むと好まざるとある程度判断できるからだ。例えばヤマダタロウさんが初めてスズキイチロウさんと明日会う、それも大事なミーティングをするとしよう。そこでヤマダさんが事前にすることはなにか。それはまずスズキさんを検索することだろう。逆にスズキさんもヤマダさんを検索するはずだ。これは仕事だけに限らず、プライベートでも人々はこれから出会うことがあらかじめ予定されている人のことを検索して会うのが一般化している。

 トーマス・フリードマン(Thomas Friedman)の世界的ベストセラー『フラット化する世界』(アメリカ版は2005年、日本版は2006年)でも筆者の子どもが新しく入学する大学のクラスメートになる学生たちの素性を事前に“ググって”調べたというエピソードがあるが、このようにお互いに検索しあう時代に僕らは生きている。

 そのような社会において、もはや外見の第一印象はそれほど重要ではない。なぜなら既にネットの検索結果が、その人の第一印象を与えているのだから。僕らは会う前に相手のかなりの情報を得て、そして印象を既に持っている。その人の興味のあるもの、活動、職歴、評判、交友関係というものはネットの海にある程度露呈している。これは今の消費の世界でも同じだろう。ある商品を買う時に、「価格.com」などの比較サイトで検索して、最も安い通販サイトから買うのは当たり前。またそれらの評価、評判もネットで検証して確かめてから買うようになった。飲食のジャンルでも「食べログ」、海外では「OPENTABLE」などでお店の評判を確かめてから予約するのは極めて一般的な行為になり、映画もヤフー映画などで評判を確かめ、本もアマゾンのユーザー・レビューやブクログなどで評価を確かめてから買う人が多い。お店の外観や本の装丁は、今はさほど重要ではない。

 僕らは、会う前に、買う前にかなり相手のことを知っている時代に生きている。そこでは見た目の第一印象はあまり大きな意味を持たない。どんなに知的な装いをしていても、ネット上で軽薄な言動や行為が露呈していたら、そういう人だと判断されるだろうし、時代の最先端のような装いをしていても、ネットで浮かび上がる趣味が時代遅れなものであれば、そちらの方で判断されるだろう。

 かつて『人は見た目が9割』という竹内一郎氏の新潮新書の大ベストセラーがあったが、それは2005年のこと。アメリカでフェイスブックがスタートしたのが2004年で日本版が出来たのは2008年、アメリカでツイッターが始まったのは2006年で日本版は2008年から。ゆえに、この本は人が見た目で判断される時代の最後の象徴とも言えるかもしれない。

~ファッションは役割を終えるのか?~

 一方では見た目を、イメージを最優先させることを前提にした産業がある。中でもファッションがそうだ。ファッションはイメージ産業の花形であり、実質よりもイメージが重要な社会、それが高度資本主義の欲望をドライブさせる基本原理だとジャン・ボードリヤールを始めとするさまざまな経済学者や社会学者が語っていた。

「消費はコミュニケーションと交換のシステムとして、絶えず発せられ受け取られ再生される記号のコードとして、つまり言語活動として定義される」(ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard)「消費社会の神話と構造」(今村仁司・塚原史訳 紀伊国屋書店 1979年)

 まさしくファッションの消費こそ、もっとも可視化しやすいコミュニケーションの方法であり、自分の記号化でもあった。

 しかし、イメージよりも検索で得る情報に重きを置く社会が到来しつつある。情報革命の急激な進行が、あらかたの予想に反して、イメージの記号操作よりも言語的なコンテンツを重視する時代へと移行する中で、ファッションはその役割を終えるのだろうか? または新たな21世紀的存在意義があるのだろうか? この連載ではそれを様々な事例を検証しつつ語っていきたい。【菅付雅信】

プロフィール
編集者。1964年生れ。元『コンポジット』『インビテーション』『エココロ』編集長。出版からウェブ、広告、展覧会までを“編集”する。編集した本では『六本木ヒルズ×篠山紀信』、北村道子『衣裳術』、津田大介『情報の呼吸法』、グリーンズ『ソーシャルデザイン』など。現在フリーマガジン『メトロミニッツ』のクリエイティヴ・ディレクターも努める。連載は『WWD JAPAN』『コマーシャルフォト』。著書に『東京の編集』『編集天国』『はじめての編集』がある。
(c)MODE PRESS

【記事参照】
参照リンク(1)BBC公式サイト:Are work suits on the way out?<英語>
参照リンク(2)Independent.ie公式サイト:Necktie 'to go out of fashion'<英語>
参照リンク(3)Luxury Online:Styles, Systems, Strategies<英語>