【4月5日 AFP】(一部更新)映画『太陽がいっぱい(Plein Soleil)』などで知られる仏有名俳優アラン・ドロン(Alain Delon)さん(76)が4日、パリ(Paris)市内で不整脈の手術を受けたことを明かした。仏日刊紙パリジャン(Le Parisien)が同日報じた。

「2時間前に手術を受けた。2週間前にめまいと吐き気があって、今日手術することになっていた」

 同紙に対しこのように語ったドロンさんは、麻酔で眠っていたのはわずか10分だったことも明かした。手術は「心臓を元通りにする」ためのものだったという。ドロンさんはさらに、詳細を語った。

「心臓をスキャンしたら、神経系は正常だったが、不整脈が見つかった。感情が積もり積もると、私のような人間には起こることだ。くだらんことさ」

「この頃は、せわしないからね。息子のことやなんかで」

 ドロンさんの17歳の息子は、パーティーで起こった発砲事件で、来客を誤って負傷させたとして裁判沙汰になっている。

 手術の報道を受け、俳優仲間のブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)さんは、「アランをとても心配しているわ。私にとっては大きな存在なの。弟のようなものよ」と心境を明かしている。

■略歴

 1935年、パリ郊外のソー(Sceaux)で、地元の映画館を経営していた父と薬局で働いていた母のもとに生まれる。両親はドロンが4歳の時に離婚した。

 波乱の子ども時代を経て、インドシナ戦争の頃に4年間従軍。その他、食品店に務めるなど、様々な職業も経験した。

 その後、整った容姿が目を引き、米国の映画プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニック(David O. Selznick)からハリウッドに招待された。セルズニックは、英語を学ぶことを条件に契約を持ちかけたが、ドロンは仏映画監督イヴ・アレグレ(Yves Allegret)からのオファーを選んだ。特に日本、中国、ロシアなど世界で知名度の高いドロンだが、フランス人俳優としてキャリアを積み上げていった。

 アレグレ監督の『女が事件にからむ時 (Quand la femme s'en mele)』(1957年)で銀幕デビュー。1960年の『太陽がいっぱい』で才能を開花させ、ヴィスコンティ監督の2作品『若者のすべて(Rocco and his Brothers)』(1960年)と『山猫(Il Gattopardo)』(1963年)で立て続けに名声を得た。

 50年以上にわたって出演した映画は約100本。ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)、ミケランジェロ・アントニオーニ(Michelangelo Antonioni)、ジャン・ピエール・メルヴィル(Jean-Pierre Melville)、ジョセフ・ロージー(Joseph Losey)、ジャン・リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)などの監督と仕事をしている。

 1970年のギャング映画『ボルサリーノ(Borsalino)』に象徴されるように、非情で冷酷な目つきのバッドボーイを演じることが多かったが、ナチス占領下のパリを舞台にした『パリの灯は遠く(Monsieur Klein)』では、倫理観の不確かな美術商を演じるなど、その多才ぶりも披露している。

 ベルトラン・ブリエ(Bertrand Blier)監督の『真夜中のミラージュ(Notre Histoire)』(1984年)では、列車内で会った女性に心を奪われる酒好きの自動車修理工場経営者を演じたが、これ以降、目立った映画出演は少ない。その代わり、俳優、監督、プロデューサーとして、舞台やテレビに活動の幅を広げた。

 私生活では、ロミー・シュナイダー(Romy Schneider)、ミレーユ・ダルク(Mireille Darc)、ナタリー・ドロン(Nathalie Delon)など名女優たちと交際・結婚している。(c)AFP