【1月18日 senken h】1976年にわずか6.5坪(21.5㎡)の店からスタートし、現在では日本と香港に100以上の店舗を構えるまでに成長した「ビームス(BEAMS)」。常に新しい取り組みでシーンに多大な影響を与え続けるビームスの舵を取り35年目。幾多の荒波を乗り越えてきた設楽(Yo Shitara)社長に話を伺った。

—35年を振り返っていかがですか。
設楽さん(以下S):ビームスを始めた1976年当時、「セレクト(ショップ)」という言葉はなく、世の中には物と情報がなくてみんなが飢えていました。「これ見た事ないでしょ?」という物を持ってくる、そこがビームスの原点です。現在は180度状況が変わって、物と情報がありすぎるために逆に飢えている時代だと思うんですね。何が正しいのか分からないと。「これが良いんじゃないか」と選んであげるのが我々の役目になりました。

 今でも始めた頃と同じように、ファッションだけではない風俗文化を伝え、次のライフスタイルの提案をしています。ただ大きく違うのは、規模が100倍になり店舗数も増え、ビームスは僕の店でありながらみんなの店であるということ。店というのは子供のようで、ある程度経つと親の手を離れ自分で勝手に走り始め、それぞれが人格を持ち育って行きます。それはちょっと寂しいことでもあって。ですからもう1回、小さくて良いから誰にも何も言わせない「俺の店」をやってみたいという欲望はありますね。

—企業の成長過程では必ず踊り場があります。
S:大きなものは2つですね。ひとつは20年が経ちますが、社員が大勢抜けた時期です。結果、次が伸びて良い形で世代交代ができたわけですけれども、当時は大変でした。もうひとつは企業30年説と言われますが、その前後から。会社が大きくなるにつれてある種分業制になり、いろいろな部署の担当者を集め合意を取らないと物事が動かなくなってくる。そうしているうちに熱が冷めてしまうと。

 新しい事や突き抜けた事というのは、一人のパワーある人間が突っ走ってくれないと出来ないことも多いし、同じ企画でも成功するかしないかはそのパワーしだいだと思うのですが、それができにくくなった。「ああ、でかくなってきちゃった」と感じました。すべてのセクションが役割分担になってしまい、社長が出て行かなければ動かない状況ではいけません。

—ある意味で会社が硬直化してしまった。
S:はい。100年経てば老舗として、つまりコクとキレで言うとコクだけで勝負できると思うんですが、キレである旬だけを追求して老舗になった前例はほとんどありません。ずっと変わらずやっているところが老舗になり、毎年変えてきたところはほとんど残らないというか。トップを極めれば極めるほど、「あったよね」「昔すごかったね」と、旬は必ず旬に凌駕(りょうが)される歴史です。ですが、我々の業界は常に旬を取り入れていかなければいけない。コクとキレが両方ないといけない。そのために、旬の取り入れ方にしてもビームスという枠の中でのトレンドにならないように、みんなの意識がビームス的なコクだけにならないようにと思っています。

 この前スタッフに、秋葉原を見たいと言って案内してもらいました。昔は風俗文化、あるいは時代の徒花(あだばな)は常に原宿にあったのに今は秋葉原にある。取り入れる要素があるのかは分からないが、少なくとも時代の旬がそこにあり、世界の日本に対する見方もそこにあるなら行かなければと。見に行ってやはりショックでしたし「目からウロコ」でしたよね。自分の知らない世界——。

 大事なのは、社長自らではなく現場の人間が見に行っているかどうかです。アニメやコスプレは自分たちの外で動いているものと思っていたら間違いで、我々はどんなに薄っぺらなことでも時代の旬であればとらえておかなければいけないし、沈殿し残るものはコクとして取り入れていかなければいけない。ビームスが時代を映す鏡だとすれば、その要素の何かが反映されていなければならないと思うんです。「トーキョー カルチャート by ビームス」の若干オタク的要素には一部入っていても、メーンのファッションにあるかどうか。その中に今の時代の真理があるわけですから。頭の中にヒントは浮かんだので、みんなに投げかけてみようと思っています。

—35周年を記念した取り組みや、新たなチャレンジを教えてください。
S:記念商品や新しい形でのコラボだけでなく、一番ファッションに近いゴルフを皮切りに、スポーツのジャンルをスタートします。同様に、ゴルフやトラベルといったオケージョン対応のコンセプトショップの形も考えていきたいなと。また、すでにスタートさせているビームス創造研究所を花開かせる最初の年にし、これまでやってきた音楽やアートといった文化的な活動を、次のビジネス形態に注入していくことにもチャレンジしたいと思っています。

 さらに、昨年の秋冬にiPhoneiPad向けのカタログアプリを作りましたが、アプリをさらに充実させます。本の売れない時代にあえて創刊した文芸誌『In The City』も最終的にアプリやネットに載せることも視野に入れていますし、Eコマースだけではなく、我々セレクトができるネット上での方法論を研究し、次のステップを考えています。

—さらなるチャレンジの年となりますね。
S:そうですね。スローガンは「全てを繋げろ。」に決めました。ネット時代において、これまでのものがいろいろな形で繋がること。スピード感がなくなったり、コミュニケーションができていない部分を繋げ、各々の行動をクロスメディアに繋げること。店頭では新たに外商制度を作りお客様と繋がること。そういう思いをすべて含んだスローガンです。(後編に続く)(c)senken h / text:加藤陽美

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