【5月17日 senken h】東京・世田谷区池尻の世田谷公園にこのほど、スケートボード広場がオープンした。東京23区で最大の人口を擁する、どちらかと言えば保守的な住民が多い地区の公園に、区の予算でストリートスポーツ専用の「遊び場」が出来たのは画期的だ。そこには地元ライダーの長く地道な取り組みがあった。

■スケーターRIKIYA氏「話せば分かるはず、こうなることは僕には見えていた」
 公園内に区の予算でスケートボード広場をつくるという異例とも言える出来事の中心的役割を担ったのが公園近くで生まれ育ったスケーター、RIKIYA氏。17年にわたる取り組みについて語ってもらった。

 僕は世田谷公園の近くで生まれ育ち、ずっとここで遊んできた。高校生の頃にスケートボードを始め、当たり前のように公園で乗り始めたんだけど「公園内ではダメだ」と禁止になった。納得がいかなかったから、同じ公園内にあった子供の遊び場を運営するNPO法人に区(公園管理事務所)との間に入ってもらい話をして、その遊び場の中にランページ(ランプ、=ボーダーがジャンプしたり回転したりする半円の施設)を作ることを認めてもらったんだ。

 それで徐々に利用者が増え、僕らの活動が周囲にも認められ始めたけど、一方で利用者が出すごみだとか騒音の問題も起き始めた。その都度、区とは話をしたんだけど、「やっぱり、周りを気にせず集中して出来る専用の場所が必要だな」って思い始めた。これが最終的に今回のスケートボードパーク広場につながるんだけど。

 そんなある時、区の担当者が替わって急にスケボーが禁止になった。面食らった僕らはどうするべきかを話しあって、結果、1年間公園で滑るのを自粛しようって決めた。それでも滑る連中はいるから、その都度、説明して止めてもらった。そうこうしているうちに、僕らなりの誠意が伝わったようで、区も苦情を言っていた住人も僕らの活動を評価してくれたんだ。

 その後、事態は好転して4年ほど前に仮の専用広場を用意してもらうことになった。僕らは利用のためのルールを作り、この期間中にスクールを始めた。子供たちや一般の人たちにスケートボードのすばらしさを伝えよう、ってね。結果的には、これが良かったと思う。スクールのおかげで地域のさまざまな人に理解が広がり、最終的に世田谷区の認可決定につながったんだから。

 17年間はあっという間だった。人それぞれ考え方も違うし、正直僕らの考えを伝えるのも面倒になってきて、スケボーをやめようとすら思った時もあった。でも、間違った事は言ってないから、いつかは理解してもらえると信じていた。だから、諦めさえしなければ専用施設が出来るって最初から僕には見えていた。スケボーとみんなの気持ちで世の中をちょっとだけでも変えることが出来たのは良い経験だった。

 もうこれ以上の事はできないと思っていたけど、今はミッションは始まったばかりって思っている。東京のど真ん中に出来たんだから、(東京の)他の場所で出来ないはずはない。ここの運営は後輩に任せて、他から要請があれば僕は応援するつもりだよ。(c)senken h

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