【2月12日 AFP】英国出身のデザイナー、アレキサンダー・マックィーン(Alexander McQueen)氏が11日、ロンドンの自宅で死亡しているのが発見された。「異端児」「アンファン・テリブル(恐るべき子供)」と評されながらも、伝統的なテーラリングと芝居がかった雰囲気をミックスした挑発的なデザインは、女優のケイト・ブランシェット(Cate Blanchett)やモデルのケイト・モス(Kate Moss)をはじめ多くの人々に愛された。

■生い立ち

 アレキサンダー・マックイーン、本名リー・アレキサンダー・マックイーン(Lee Alexander McQueen)氏は、1969年3月17日ロンドン生まれ。市内、イーストエンド(East End)地区で、タクシー運転手の父親のもと6人兄弟の末っ子として育った。

 16歳で学校を中退。チャールズ皇太子(Prince Charles)の洋服も手がける英サヴィルローのテーラー「アンダーソン&シェパード(Anderson & Sheppard)」や「ギーブス&ホークス(Gieves and Hawkes)」で見習いとして経験を積んだ。サヴィルロー時代には、自分が手がけた皇太子のスーツの裏地にひわいな言葉を書き込み、物議を醸したことも。

 その後、舞台衣装を手がける「Angels & Bermans」でパターンやカッティングなどの技術、そして後に彼のデザインの特徴ともなる演劇的な要素を習得。続いて「ロメオ・ジリ(Romeo Gigli)」、「コージ・タツノ(Koji Tatsuno)」を経て、英セントラル・セント・マーチンズ (Central Saint Martins College of Art and Design)の修士課程に入学。そこで、その後長くに渡って彼の支えとなるエディター/スタイリストのイザベラ・ブロウ(Isabella Blow)に才能を見出された。

■キャリア
 
 マックイーン氏は、デビューするとすぐに物議の対象となった。「ハイランド・レイプ(Highland Rape)」と題したコレクションでは、レースのドレスをまとった血まみれのモデルを使い、議論を巻き起こした。

 しかし彼は、デビュー10年間のうちに、4度もブリティッシュ・デザイナー・オブ・ザ・イヤー(British Designer of the Year)を受賞。最初の受賞は、1996年。その時彼は弱冠26歳だった。また、同じく96年には、ロンドン出身のデザイナー、ジョン・ガリアーノ(John Galliano)の後任として、仏高級ブランドグループの「モエヘネシー ルイヴィトン(LVMH)」傘下のファッション・ブランド「ジバンシィ(Givanchy)」のチーフデザイナーに就任し、01年まで活躍した。

 2000年には、グッチ・グループが「アレキサンダー・マックィーン」の株式51%を獲得。香水や、メンズウェア、デニムを中心としたセカンドライン「マックキュー(McQ)」の展開など、規模を拡大し、不動の地位を築いていった。

 彼にとって最後のレディース・コレクションとなった10年春夏コレクションは、エイリアンにインスパイアされたメイクや爬虫類プリントが高い評価を得ていた。

 彼は同性愛者であることを公表しており、2000年にはドキュメンタリー映画を手がけるジョルジ・フォルシス(George Forsyth)とイビザ(Ibiza)で挙式している。(c)AFP

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