【1月18日 senken h】人気ブランド「SLY(スライ)」のクリエイティブディレクターの植田みずき(Mizuki Ueda)さんと自社ブランドをPRする敏腕プレスの世永亜実(Ami Yonaga)さん。ともに会社の中枢に身を置くにとどまらず、プライベートではパートナーとキッズにも恵まれ、ますますその輝きを増している。ワーキングウーマンのあこがれのような存在の2人だが、もちろんその道のりは平坦ではなかった。悩んだり、打ちのめされたり、落ち込んだり。消費不況のいま、そんな曲折した過去の道を改めて見つめ直したいという言葉が漏れる。奇手や妙手が見当たらない今、彼女たちの「初心」や「原点」といった言葉が新鮮に響く。

—昨年を振り返ってどうでしたか。

世永(以下Y):今までは、「今年こそ大きいことやろうよ」とか先のことを見て動いていましたが、景気が悪くなってから「明日やれることは何か」ってことを今まで以上に考えるようになりました。初心に戻ることの大切さを気づかせてくれたという意味では景気が悪いことに感謝しています。

植田(以下U):私は昨年4月に産休から復帰して、やっと仕事に慣れてきたって時には世の中は不況だった(笑)。そんな中で、少しでもより良い方向にブランドを育てていくにはどうしたらいいのかをすごく話し合いました。社内的な課題も浮かび上がってきて、「スライ」というブランドを見直す良いきっかけになりました。

Y:植田さん、全然産休に入っていた感じがしないですけどね。

U:出産当日まで仕事をしていましたから。会社でコーディネート組んでいたらもう産まれる〜って(笑)。それから3カ月はほとんど仕事もせずのんびりとしていたんですけど、やっぱり仕事がしたくなっちゃって。テレビを見ても人の服が気になって仕方がなかった。

Y:私も産後は退屈になって授乳しながらポラチェックとかしていました(笑)。

—2人のキャリアの中での、転機を教えて下さい。

U:19歳で販売員として働き始めたんですが、その頃から手の届く場所でのトップになりたいと思っていました。まず店長、次にエリアマネージャー、その次は…って具合に。それを達成していく中でデザイナーにならないかって話をもらい「マウジー」の企画チームに参加しました。すでに人気のあるブランドだったので、自分の手がけた商品も売れて当たり前だと思っていましたが、いざ蓋(ふた)を開けてみると全く売れなくて愕然としました。初めて打ちのめされた。で、もう一度自分の原点である店頭に立って、お客様がリアルに欲しがっているものをデザインして、店に出したら売れ出して。マウジーが安定してきた22歳の時、「スライ」を立ち上げることになったんです。

 その時も、スライもうまくいくだろうって雰囲気が何となくあって。でもマウジーは当時のオーナーや森本(容子)さんなどの影響力が大きく、私はそれに便乗していた部分もあったので、本当に自分でブランドを立ち上げるってなった時、現実はもっと甘くないはずと思ってたんです。服飾の学校にも行ったことがなかったので、もっと服の勉強をしたいと思っていて、そんな時にスタイリストの亘つぐみさんに出会ったんです。

 それで、ファッションの勉強をするためにどうしてもスタイリストのアシスタントになりたい気持ちが強くなって、「ViVi」の編集部に単身乗り込みスタイリストの白幡さんを紹介してもらいました。半年間と期間を決めて、アシスタントとスライの仕事を両立させました。全く自分にないテイストの服もたくさん見ることができて、自分がファッションのごく一部しか見ていなかったことに改めて気付かされたんです。それでもう一度洋服を作りたいと思い改めて、デザインの仕事1本に絞りました。あの3年間が一番楽しくて、でも一番もがいていた時期かもしれないです。

Y:私は芸能プロダクションで宣伝担当をしていました。新人アーティストの売り込みで、知らないテレビ局やラジオ局にそれこそ植田さんと同じく単身乗り込んで、ずっと立ちっぱなしでディレクターを待ったりしていました。とにかく目の前の仕事をこなしていくので精一杯でしたが、働き始めて2年経った24歳の時、どうしても納得できないことがあって、飛び出すようにやめてしまった。

 それからコンビニで何となく手に取った就職情報誌で「サマンサタバサ(Samantha Thavasa)」の募集を見つけて1週間後には仕事を始めていました。いざ出社したら突然「ヒルトン姉妹とプロモーション契約したんだけど、担当する広報がいないからプロモーションに行ってきて」と(笑)。まだ彼女たちの知名度も低く、私自身も「誰それ?」状態だったんですが、とにかく慌てて前の仕事の人脈をたどっていろいろと連絡を取り、テレビなど各メディアに取材してもらえるよう交渉に行ったんです。

 とにかく、目をつぶって走っていて、気が付いたらここにいたって感じですね。負けず嫌いなので、結構がむしゃらに仕事してきたなって実感はあって。送ったメールを全部コピーして持ち帰ってチェックしたり。でも27歳くらいの時に、ふとそれを止めてみたんです。そこで初めて、自分を信じてあげることができたのかもしれません。(vol.2に続く)(c)senken h

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