【10月5日 AFP】金髪碧眼のモデルたちがファッションショーのステージを独占してきたように、ショーウィンドーや店頭に立つ「マネキン」の世界にも人種差別が存在してきた。

 パリに本社を置く世界有数のマネキンメーカー、コフラッド(Cofrad)の経営者、アルク・ラクロワ(Marc Lacroix)氏は「黒人やアジア系のマネキンは米国では成功しているし、英国からも注文がある。しかし、フランスやドイツではまったく人気がない」という。

 米カリフォルニア(California)州でもマネキンメーカー「パティーナV(Patina V)」を展開しているラクロワ氏によれば、「英米圏のほうが旧大陸(ヨーロッパ)よりも人種に関する偏見が少ない傾向がある」。

■裁縫用の型から進化するマネキン

 現代のマネキンはさまざまな形、色、サイズがとりそろい、体は各部ごとに分解できる。「サウジアラビアには頭はなしで、導体部分だけを売っています」とラクロワ氏はいう。オートクチュールの製造元が、顧客にマネキンよりも服に注目してもらいたがるからだ。一方、「アジアのマネキン市場では、西洋人風のマネキンがより一般受けする」という。

 人体を模したファイバーグラス製のマネキンの歴史は比較的新しく、トップモデルという存在が誕生した時期と同じころで、また人間のモデルたちの流行を反映もしてきた。

 マネキンは18世紀、仕立屋や裁縫師の道具として作られた籐製の型だった。素材は針金製、段ボール製へと変化していったが、20世紀に入りオートクチュールが登場すると、デザイナーたちは顧客に直接コレクションを見せるために、人間のモデルを使うよりも人に似せたマネキンを使うことを思いついた。

 1950-60年代にかけてマネキンは、そうした富裕層の女性たちの私室やサロンから、一般の店舗やショーウィンドーへと一斉に広まった。デザイナーブランドも既製服メーカーも大量に出現した時代で、ツィギー(Twiggy)のような「トップモデル」が初めて登場した。

■マネキンの存在で売上高は4倍に

 仏パリの老舗百貨店「ギャラリー・ラファイエット(Galeries Lafayette)」では、世界の支店全体で計1万5000体のマネキンを使っている。パリ市内の本店だけでも5000体だ。

 ラファイエットで販売促進の視覚戦略をまとめるエレーネ・ラフォルカデ(Helene Lafourcade)さんは、マネキンによる販売効果は4倍にもなるという。「マネキンは単に店に立っているオブジェじゃない。動かない販売員です」

 マネキンを制作しているのは専門の造形家たちだ。毎シーズンのデザイナーたちの新作ショーからヒントを得る。マネキンの寿命は3年から4年。1体の製作費は150ユーロ(約2万円)から、最高級マネキンでは1500ユーロ(約200万円)にも届く。

■現代デザインのトレンドも反映されるマネキン

 同じくパリの百貨店プランタン(Printemps)のアーティスティック・マネージャー、フランク・バンチェット(Franck Banchet)氏によると、1990年代にはハイパーリアルなマネキンが流行した。「マネキン界のロールスロイスともいえるロンドンのマネキン・メーカー、アデル・ルースティン(Adel Rootstein)では、人間用のプロのメイクアップ・アーティストとヘアスタイリストを使っていた」

 その後、デザイン界全体でミニマリズムが主流となるとマネキンも流線型化し、「卵形の顔に目鼻はラインだけといった風情になった。スイスのマネキン会社シュレッピ(Schlappi)がその代表だ」。故イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)氏がこれを好み、ホワイトやブラック、ゴールドに着色してキャットウォークに登場させた。

 ニューヨークからパリにマネキンの新コレクション「マダム(Madame)」で進出しようとしているラルフ・プッチ(Ralph Pucci)氏は、「その時代時代にあったマネキン作りが要求されている」と語る。プッチ氏は、アンドレ・プットマン(Andree Putman)やルーベン・トレド(Ruben Toledo)、ケニー・シャーフ(Kenny Scharf)、スティーブン・スプラウス(Stephen Sprouse)といった前衛的なデザイナーやアーティストたちと活動してきた。

 「マネキンは変化するものであり、アートであり、彫刻だ。マネキンはそれ自体の個性をもつと同時に、服が売れるものでなければならない」(c)AFP/Claire Rosemberg

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