【東京 12日 上間常正】ピアジェの歴史は、スイスのフランス国境に近い山間の村、ラ・コート・オ・フェで始まった。“妖精の丘”というほどの意味の魅力的な響きの名をもつこの村の住民は、カルヴァン派の新教を強く支持する質素で勤勉な人々だった。夏の間は畑仕事と家畜を追い、雪に閉ざされる冬はレース刺繍や時計作りに勤しんだ。16世紀のころからこの村に住み着いていたピアジェ一族の中から、創業者となるジョルジュ・エドワール・ピアジェがブランド「ピアジェ(PIAGET)」を立ち上げたのは、1874年のこと。

■妖精の丘

 ジョルジュの確かな腕はすぐに評判となり、彼の14人の子供たちも次々と工房で父親を手伝うようになった。手が足りなくなると、村人たちが協力した。その家族、そして村の共同体を支えていたのが、忍耐や勤勉、着実といった伝統の価値観だった。ピアジェ家は「常に必要以上の最高を目指す」という家訓を受け継ぎ、技術の開発に励んだ。だがピアジェが大きな発展を遂げたのは、その確固とした下地の上に、常識を覆す突飛なアイデアとそれを成し遂げる冒険精神を同時に重んじてきたためだ。

■最初の成果とその後の軌跡

 最初の成果は、従来の時計と比べて常識破りに薄くて軽いエクストラフラット・ムーブメントの開発だった。1920年ごろには厚さ2.4ミリの超薄型懐中時計が製作され、薄型化への技術が文字盤のデザインの可能性も広げた。それがダイヤモンド・セッティングによる装飾への道を切り開いた。1956年に有名な手巻きムーブメントのキャリバー9Pが誕生し、1960年には厚さ2.3ミリでギネスブックにも登録された自動巻きムーブメント、キャリバー12Pが発表された。

■1957年に巻き起こした旋風

 1957年のバーゼル見本市に出品されたピアジェの9Pキャリバーは旋風を巻き起こした。紳士用はシャンタン彫り文字盤のついたホワイトゴールトの核型。丸型の婦人用腕時計はゴールドの超薄型ケースとシャンパンカラーの文字盤。当時の常識を超えた薄さと直線的で長く浮き出した金の目盛りが評判になった。

■性能だけに終わらない美しさ

 ピアジェは1940年代からメカニズムの性能だけではなく、その技術を美しいデザインにも応用し始めていた。1957年には、貴金属以外の素材では時計を作らないとの大胆な決断をした。その結果、独特な美しいメッシュチェーンを使ったブレスレット・ウォッチが生まれた。1960年の婦人用腕時計は、ベゼルと文字盤がゴールドのブレスレットのデザインと自然に美しく一体化している。

 ブレスレットと一体化したデザインとムーブメントの薄さは、その後も多くのバリエーションを生み出した。(c)MODE PRESS