【モスクワ/ロシア 24日 AFP】23日、ボリス・エリツィン(Boris Yeltsin)前大統領が心臓発作で死去との報がロシア全土に広がった。死者に対して敬意を払うことはロシアの伝統だが、モスクワの街角では、旧ソ連の解体やチェチェン紛争、そして国有資産の新興財閥への売却など、エリツィン政権下で行われた政策と、それによる混乱を思い起こし、多くの市民がエリツィン前大統領に対する激しい批判の声を上げた。

■「祖国を売り渡した」国有資産民営化に対する強い批判

 夫人と散歩の途中だった引退した医師のウラジーミルさん(61)は、エリツィン大統領がソビエト連邦を解体した1991年の苦々しい思い出を語り始めた。

 「エリツィンを信頼していたが、彼は祖国を売り渡した」とウラジーミルさん。「(共産)党で50年間勤め上げた父は、エリツィン氏のすることを国民のためになるものと信じていた。しかし、実際には少数者による国有資産の横領に手を貸しただけだった」
 
 夫人は驚いて、「故人にそんなことを言っては駄目よ」と夫をたしなめた。「死者にむち打つな」というのは、ロシアの根強い伝統だ。だが、通りがかった人も容赦ない批判を始めた。「エリツィンが死んだって? あいつは裏切り者だ。ロシアを二束三文で売り飛ばしたんだ」

 エリツィン前大統領が旧ソ連の崩壊後、国有資産の民営化を進めたことに対する批判は激しい。ごく少数の者が富を得る一方で、多数の国民は苦しい生活を強いられた。「エリツィンのやったことは許せない。ソ連の体制にはまずいところも多数あったが、エリツィンのやった国家資産の売却は、犯罪行為だ」とモスクワ国立大学で哲学を専攻するドミトリー・ウリアノフさん(20)は語った。

■「チェチェン紛争は最大の失策」との声も

 エリツィン前大統領の最大の失政は1994年、チェチェン共和国の独立派を抑え込むために軍隊を派遣したことだという見解もある。1994年から1996年のチェチェン紛争では、ロシア兵数万人が死亡した末に、ロシア軍が屈辱的な敗北を喫した。ロシア軍は1999年、再度チェチェンを制圧するが、現地武装勢力による抵抗は今もなお、やむ気配を見せていない。

 「エリツィンはまったく尊敬できない。チェチェンに従軍して、すべてを見たからだ」と白髪の退役兵ジンナディ・アレンバエフさん(44)は語る。「チェチェン紛争を中止して、改革に専念することは容易にできたはずだ。しかし、軍の上層部と政治家は、この紛争を金儲けの手段にした」、パンケーキを売る屋台に立ってアレンバエフさんは語った。

 エリツィン氏の死去をあからさまに喜びを表す人もいた。「Eurasian Union」と名乗る小規模な民族主義グループの若者たちは、モスクワのボリショイ劇場の前で、即席の祝宴を始めた。「ロシア人は皆、心の底では喜んでいるさ」とグループの1人は語った。「エリツィンは祖国を破壊した。あれよりひどいのはゴルバチョフだけだ」

■エリツィン擁護派も慎重な発言

 誰もがそこまで手厳しいわけではないが、エリツィン前大統領を擁護する人も発言には慎重になっている。

「エリツィンは国民に、ソビエト時代とは違って自由に、自立して生きることができると教えてくれた。しかし、取り巻きによって国民から孤立してしまった」と語るのは、職人の ピョートル・ロゼニスタさん。「彼は自分の犯した過ちに最期まで気付かなかった。チェチェン紛争、国民の貧困、そしてロシアの地位の低下に」

 投資ファンドのアナリスト(24)は、エリツィン政権下の政策には功罪両面があると語る。1990年代初期のロシアの民主的変革は前大統領に負うところが大きいが、その後に続く国家資産の売却は誤りだったという。「エリツィンが行った民営化は、まったく不要だったとは思わないが、方法は間違っていた」

 写真は静岡県伊東市で1998年4月に行われた非公式の日露首脳会談(川奈サミット)後、歓迎イベントに出席したエリツィン前大統領(右)と橋本龍太郎元首相。(1998年4月18日撮影)(c)AFP/KAZUHIRO NOGI