【9月10日 marie claire style】インスタライブ、無観客配信ライブ、楽曲制作。コロナ禍での挑戦を経て見つめ直した、歌うことの意味とは。森山直太朗さんに聞いた。

 18歳の頃、毎週土曜日になると吉祥寺の桟橋で歌っていた。演奏が終わると「じゃあまた、来週もこの場所で会おう!」と、適宜解散。そんなふうに、ギターケースひとつ持って、ふらりと弾き語る路上ライブが自分の音楽活動の原点だ。歌い歩いてなんぼ、だからソーシャルメディアとは距離を置いていたのだけど、インスタライブはやってみるとアナログなものと相性がよかった。「ちょっとトイレに行ってくるねえ」が成立するリモートスタイルは、道行く人を前に淡々と歌う路上ライブとどこか似ている。それぞれがパーソナルな空間にいながらも繫がっているという、心地よい距離感。一方で、マイクを通さない歌声が臨場感を演出したりもして。ソーシャルディスタンスを謳っているこのご時世を嘆く人もいるけれど、距離を置くことで救われているものって案外多いと思う。少なくとも自分にとっては、プライベートな空間から歌い、プライベートな空間で聴いてもらうという"不干渉領域"ができることで、歌を届けることの意味を見直すことができた気がする。

 例えば、7月に「ブルーノート東京」で開催した、無観客配信ライブもそのひとつ(この配信ライブは、5月に予定していたライブツアーが新型コロナウイルスの影響で延期されたために実施した初の試み)。一方通行の情報になるんじゃないかとか、ライブという一世一代のイベントをカジュアルに捉えられるんじゃないかとか、配信ライブの危うさに不安も覚えつつ、無観客の利点を最大限に活かして、劇場の入り口やラウンジまで丸ごと舞台にして歌い歩いてみた。ライブ会場へ向かうときの高揚感や場所との出会い、演者がステージに立つことの必然性。観る人と一緒にテンションを高めていき、ライブならではの感覚を共に味わうことを大切にした。ひとつの映像作品としても、また配信ライブとしても実験的で、次のライブに向けての布石になったと思うし、何より久しぶりに、純粋にみんなで歌えたことが楽しかった。

 コロナ禍のずっと前に生まれていた「すぐそこにNEW DAYS」という曲は、期せずして「loneliness 近くならないか」という歌詞で始まる。まるで、今のディスタンスな状況を予言していたかのようで、われながら創作の醍醐味を感じた。この曲は、一見するとファンタジーだけど、現実に近い世界を描いている。ミュージックビデオはかなりカオスな世界になっていて(笑)、ブルーグラスな楽曲に合わせて「MORIYAMA DREAM LAND」と名付けられた架空のサーカス団が舞台。座長"NAOTARO"である自分が新しい日々を手に入れるための苦悩と覚醒を、軽快かつコミカルに展開していく物語になっている。その中で、うまくいかないことを嘆く座長のぼくが、ピエロのような、歌舞伎役者のようなメイクで変貌しようと悩むシーンがあるのだけど、その世界でしか生きられない道化師の切なさが表現されていて、今の表現者にも通ずる物哀しさがあるんじゃないかなあと思う。

 新型コロナウイルスが蔓延する中でこの状況を切り取るならば、「まさか、こんなことになるなんて!」と多くの人が思っているのかもしれない。とはいえ、こうして立ち止まって考えなければいけないことは、実はこういう状況になる前からぼくらの中に潜んでいた問題だったのかも。コロナ禍で生まれた「最悪な春」という曲に「どこからどう見てもどこをどう切ってもこれはきっと最悪な春」というフレーズがあるのだけど、「最悪な春」と言い放てることにかすかな豊かさがある。これは、資本主義的な視点で見ると状況は最悪でも、生き物としては有意義な時間なんじゃない? と、どこか俯瞰的に社会を見ている自分なりの表現になっている。結果、生きること、生活することについて、細部にわたって再確認できたわけだから。

 インスタライブのように初期衝動を表現できる場は、今の自分にとっての新しいベースキャンプになった。「今、この時代に、このスタイルでも楽しく」無理のない、無駄のない活動をしていけたらいいな、なんて思っています。

■プロフィール
森山直太朗
1976年生まれ、東京都出身。2001年インディーズ・レーベルより"直太朗"名義で、アルバム『直太朗』を発表。02年ミニ・アルバム『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』でメジャーデビュー。03年『さくら(独唱)』が大ヒットする。「最悪な春」「すぐそこにNEW DAYS」が配信中。

■関連情報
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(c)marie claire style / interview, text: Chikako Tonoi