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【5月50日 marie claire style】『アマンダと僕』は喪失を描く映画だ。大切なものを失うことは、一生を通じて誰もが経験することだ。それがあらかじめ知らされていれば、覚悟もできるだろう。しかし突然だと立ち直るのに時間が必要だ。3年前、私の故郷の熊本が大地震に遭い、尊い命や家屋、懐かしい風景を失った。その時は、手を差し伸べてくれる人々の優しさや善意に心を支えられた。そして、同じ喪失感に挫けそうになっている人同士が助け合う姿をたくさん目にした。失意の底に落ちている人の気持ちにいちばん寄り添えるのは同じ境遇の人間なのかもしれない。

 この映画は無差別テロに遭遇し、大切な姉を亡くした青年・ダヴィッドが、姉の残した娘・アマンダを引きとり立ち上がる姿を真摯に描いた感動作だ。テロを社会的に批判するような映画ではない。あくまでも淡々と一個人の目線でテロに遭った被害者の気持ちを描いていることに好感を抱いた。ダヴィッドの目線で語られることで、この映画は観る側に、ここで描かれていることは人ごとではないのだという想いを抱かせる。

 映画の前半では、幸福な日常の風景が積み重ねられる。仲のよい姉とその娘との生活。新しい友人に恋をしたり、ダヴィッドの日常は穏やかでいつも陽光に照らされている。自転車に乗ってパリの街を走るダヴィッドの姿。冒頭から何度も映し出されるが、それはパリという街の存在を映し出したかったに違いない。しかし、後半は陽が陰り、自転車に乗って走るパリの姿はたとえテロが起こっても無情にも同じ顔であり続ける。それをどう捉えるかが、そこで生きていく人間の覚悟や生き方を決めていくのだと実感させられる。

 何よりも好感を持ったのは俳優たちの真実味のあるシンプルな演技だ。突然、降りかかった悲しみに戸惑いながらも、その直面する状況に真摯に向き合うダヴィッドの姿は素晴らしかったし、残された幼な子アマンダの悲しみに暮れる姿はやるせなさを痛感させ、最後に見せるアマンダの笑顔は観る者に勇気を与える。

 この映画で名も知れない者たちが日常を取り戻そうとする姿は、テロや震災で喪失を経験した我々に生きる希望を見出させる。そして、穏やかな日常がどんなに尊く、大切な人がいるということがどんなに愛おしいものなのかを教えてくれるのだ。

■映画情報
・『アマンダと僕』
6月22日(土)より、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか
全国順次公開

■プロフィール
行定勲(Isao Yukisada)
1968年生まれ、熊本県出身。映画監督。2000年『ひまわり』が、第5回釡山国際映画祭・国際批評家連盟賞を受賞。01年の『GO』で第25回日本アカデミー賞最優秀監督賞を始め数々の映画賞を総なめにし、一躍脚光を浴びる。04年『世界の中心で、愛をさけぶ』は興行収入85億円の大ヒットを記録し社会現象となった。以降、『北の零年』、『春の雪』、『クローズド・ノート』、『今度は愛妻家』、『パレード』(第60回ベルリン国際映画祭・国際批評家連盟賞受賞)、『円卓』、『真夜中の五分前』、『ピンクとグレー』などを製作。17年は震災後の熊本で撮影を敢行した『うつくしいひと サバ?』、島本理生原作の『ナラタージュ』が公開された。最新映画は、岡崎京子原作の『リバーズ・エッジ』。

■関連情報
・アマンダと僕 公式HP:www.bitters.co.jp/amanda
行定勲のシネマノート:アーカイブはこちら
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(c)marie claire style/selection, text: Isao Yukisada

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