【1月31日 marie claire style】1999年、仏『マリ・クレール』誌の撮影で、モデルになりたてのレティシア・カスタと初めてキューバに行った。

 首都ハバナの大きな立派なホテルに宿泊したが、社会主義の真っただ中、使い古したバスタオルの端がすり切れていた。

 1968年パリに来る途中ソ連を通過したが、大きくて立派なモスクワのホテルのタオルも、同じ状態だった事を思い出した。

 キューバは海に囲まれた大きな島なのに、食事の時、冷凍の魚が出てきてビックリした。そう言えばモスクワでも、食べる物が何もなかった。

 クリストファー・コロンブスによって、15世紀に発見されたキューバは、スペインと中南米の中継地点として栄えていた。

 スペイン人によって建てられたのか、首都ハバナにはバロック風の建物が連なり壮観だ。が、現在これらの立派な建物は、突っ張り棒で支えられ中はボロボロ、何ともデカダンで、ある種のロマンさえ感じる。

 キューバ産の葉巻は有名、何も知らない私でも「コイーバ」の名前だけは聞いたことがある。撮影の時、男性スタッフは、シガーの工場に行こうと騒いでいた。

 ボクシングが盛んで、沢山の子供達がジムに通っている。

 アメリカとキューバが友好関係を結んでいた50年代、沢山の車が輸入された。その当時の車が、今でも沢山走っている。

 フィデル・カストロによって社会主義に変えられ、キューバとアメリカは、国交断絶してしまった。

 マイアミに行くと、沢山のキューバ人がいるが、社会主義の厳しさから逃げて来たのだろうか?

 キューバの映画『苺とチョコレート』が、90年代に公開され、レストランのシーンがあった。コーディネーターのネルソンに尋ねると、実際にあるレストランで、連れて行ってくれた。

 ハバナの人々は陽気で親切、道路で撮影をしていると家から出て来て、「コーヒーでも如何?」等と、ニコニコ顔で声をかけてくる。

 2度目にキューバに行ったのは2010年、『マリ・クレール』のキャスティングに現れたモデルのアリソン ・ル・ボルジと一緒だった。彼女はびっくりするほど、眼差しの美しいモデル、一目見て気に入りロケに出発した。

 一緒に飛行機に乗った時、彼女の美しさに目を見張った男性達が、立ち止まってしまった。

 彼女はアントニー・ドロンの娘で、目元がアラン・ドロンにそっくり。彼の孫娘なのだが、当時は認知されていなかった。

「大丈夫よ。認知されてなくても、あなたの顔が証明しているわ」と、私は言った。

 数年後、彼女はアラン・ドロンに会い、認知されたと雑誌に書かれていて、「アリソン、良かったわね!」と、思った。

 この時のロケは、キューバには珍しい雨続きで、撮影のできる室内を必死で探した。そして、 ロケバスの中で1時間待機し、5分だけ出る太陽で撮影することもしばしばだった。

 サングラスをかけ曇り空を見ていると、雲の後ろにある太陽が見える。スタッフに「5分後に太陽が出るから、用意して!」と言い、数分だけ輝く太陽で急いで写真を撮った。

 全て撮影を終え、飛行場に向かう時には、雲ひとつ無い晴天で、何とも皮肉だなーと思った。

 この時の食事は、前回より美味しくなっていた。

 3度目にキューバに行ったのは、2012年。

 経済上の理由で、この時は沢山のページ数のあるストーリーに加え、更にもう一本撮影することになっていた。幸いに晴天に恵まれ、撮影は順調に進んだが、全てのページをこなすのに、朝から晩まで撮影をした。

 1本目のテーマは、キューバの太陽に合わせ、昔見た映画『カルメン ジョーンズ』の主演女優ドロシー・ダンドリッジをイメージし、褐色の肌のモデルを選んだ。ダブルページが多かったので、変化をつけるためキューバ人の男性をキャスティングし、パリから持って行った服を着てもらった。

 2本目のストーリーは、少しセクシーな黒いドレスを、別のモデルで撮影した。

 食事は前回よりも、更に美味しくなっていた。

 長年社会主義国家としてキューバを治めてきた、 フィデル・カストロは2008年に引退した。その後のミゲル・ディアス・カネルは、カストロ体制の後継者。オバマ政権のアメリカとキューバは、国交正常化に向かったが、トランプ大統領の政権下では、両国の関係は再び冷たいものとなったようだ。

 コーディネーターのネルソンに「近頃のハバナは、どうですか?」と電話すると、「マコたちが来た頃と、大して変わらない」と言っていた。

■プロフィール
山崎真子(Yamazaki Mako)仏版『マリ・クレール』元ファッション・エディター、副編集長。日本の美術大学を卒業後、一般企業に就職。1968年に渡仏。テキスタイル会社に勤務後、フリーのスタイリストとして活躍する。85年「マリ・クレール アルバム」社に入社。サラ・ムーンやピーター・リンドバーグなど一流のカメラマンたちと仕事を重ね、『マリ・クレール』の黄金時代を代表する作品を創り上げた。2014年に同社を退職。現在は執筆活動に従事。

■関連情報
山崎真子のTravail a Parisをまとめた特集ページはこちら
(c)marie claire style/text: Mako Yamazaki