【12月7日 marie claire style】オスカー女優から、モナコの公妃に。誰も手の届かない立場から、もうひとつのそれへと転身したグレース・ケリーは、その恋物語自体もまた、フェアリーテールそのものである。

 グレースがモナコの大公レーニエ3世の招待を受けたのは、彼女がカンヌ映画祭を訪れていた時。グレースがアメリカに戻ってまもなく、今度はレーニエがアメリカを訪れ、グレースの家族に会った3日後にプロポーズする。

 相手は、まだ2度しか会ったことがない人。この結婚を受け入れれば、家族と遠く離れたモナコに引っ越すことになり、女優のキャリアもあきらめなければならない。それでも、グレースはその決断をした。フランスから戻った後に撮影した『白鳥』で演じた役が偶然にもお姫様だったことにも、運命のお告げを感じたのかもしれない。

 セレブウェディングの元祖とされる1956年の結婚式は、300万人以上が見たとされる。当時、グレースは26歳、レーニエは32歳。結婚式の後には、立ったまま記者の囲み取材を受け、どこに行くにも、マスコミが同じボートに乗ってついてきたりした。スクリーンから遠ざかっても、いや、むしろ、そんな大胆な選択をしたことで、なおさら彼女は人々を魅了し、好奇心をかき立てる存在になったのである。

 しかし、見えないところでは、苦労もあったようだ。第2次大戦後、モナコを訪れる人たちは以前ほどカジノでお金を使わなくなっており、国の財政は困窮していた。グレースの父は、元オリンピック選手で国民的ヒーローだったうえ、レンガ製造会社を創設して億万長者になった人。結婚に際して、グレースの家族は、持参金として200万ドルを払ってほしいとモナコから要求されたといわれている。結婚後も、ド・ゴール仏大統領がモナコに過酷な税金を課そうとして、国家が危機に陥ったことがあった。その時にも、グレースは、国のため、夫のために行動している。

 結婚6年後に起きたその出来事については、ニコール・キッドマン主演の映画『グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札』で描かれている。キッドマンは、「あの夫婦は、強い愛情でつながっていた。これは、二人のラブストーリーなの」と、永遠の愛に敬意を表している。

 グレース・ケリーは、1951年、22歳で映画デビュー。『喝采』でアカデミー賞主演女優賞を受賞。レーニエ3世は、1949年に即位。夫妻の間には3人の子供がいる。

■関連情報
【無料ダウンロード】marie claire style PDFマガジンをチェック!
(c)marie claire style/text: Yuki Saruwatari/photo: Everett Collection/amanaimages