【10月4日 東方新報】中国・遼寧省(Liaoning)大連市(Dalian)に京都の街並みを再現したプロジェクト「盛唐・小京都」が8月末に開業したが、わずか1週間で休業し、さらにコンセプトを変えて1か月後に再開するという二転三転の事態となった。

「盛唐・小京都」は「唐の最盛期の小京都」という意味。平安京が唐の都・長安にならって桓武天皇の時代に作られたことから、京都の街並みと唐代の面影の融合をテーマとしている。大連市中心部から30キロ離れた海岸沿いの観光リゾート区で、大連の不動産開発企業が日本企業と協力して開発。敷地は東京ドーム13個分の63万平方メートルに及ぶ。京都の町家風建物など1000戸の家屋と商店街、温泉などを組み合わせ、総プロジェクト費用に約60億元(約1033億円)を投じる。

 コロナ禍による延期を経て8月25日に開業すると、1日に10万人以上が訪れる盛況ぶりだった。ところがわずか1週間後の9月1日に休業に入った。

 大連はかつて日露戦争で日本が勝利した後、ロシアから租借権を引き継いだ関東州の中心地。実質は植民地で、日本がその後、満州国建設など中国支配を広げる拠点となった。現在の大連市は日本統治時代の建物が中心部に多く現存し、日本企業も多く進出し、日本料理店もあちこちにある。特に日本への批判的感情が強いわけでもない。

 だが、「盛唐・小京都」がオープンしたニュースが流れると、インターネットで「大連に日本人街を再現するとは、屈辱の歴史を忘れたのか」「文化侵略だ」と批判が噴出。会場に日本の特産品や家電を売る商店街を設けたことが「日本の商品しか販売できない」というデマとして広まり、日本統治時代の「負の記憶」を呼び起こす形に。9月1日には「営業上の問題が発生した」として休業することとなった。この時期が満州事変のきっかけとなった柳条湖事件(1931年9月18日)が起きた「国辱の日」から90年という節目が間近に迫っていたことも背景にあったとみられる。京都の町並み再現がプロジェクトの中心でありながら「盛唐・小京都」とネーミングしたのは、当初から「炎上」を回避する戦略があったようだが、過激なネット世論が想像を上回った形だ。

 会場は10月上旬に再開することとなったが、名称から「京都」を外し、「唐の時代の東都・洛陽を再現した街並み」として再スタートすることになった。現在、中国には日本人が約11万人在住し、米国在住の約44万人の次に多い。「日本人」という理由だけで個人が何らかの迫害を受けることはまずないのだが、日本の「国家」による侵略の歴史を想起するケースが浮上すると、今も複雑な民族感情が噴出する。ネット上では「過去の侵略の歴史と現代の商業活動は区別して考えるべきだ」という冷静な意見もある。(c)東方新報/AFPBB News