長崎への原爆投下から75年、祈念式典はコロナ受け縮小

08月09日 21:00


長崎市の平和公園で開かれた平和祈念式典で飛ぶハト(2020年8月9日撮影)。(c)Philip FONG / AFP


【8月9日 AFP】長崎は9日、米軍による原爆投下から75年となる「原爆の日」を迎えた。今年は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、祈念式典は規模縮小を強いられた。

 爆心地に近い長崎市の浦上天主堂(Urakami Church)では早朝に犠牲者を追悼するミサが営まれ、平和公園(Peace Park)では平和祈念式典が開かれた。

 今年は新型コロナ対策として参列者数を前年の10分の1程度に減らすとともに、インターネット上で日英2か国語で生配信された。原爆が投下された時刻の午前11時2分には、参列者らが1分間黙とうした。

 続いて長崎市の田上富久(Tomihisa Taue)市長は平和宣言で、被爆者が「地獄のような体験」を何十年も伝えてきたにもかかわらず「核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません」と述べた。

 その上で「新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます」と語った。

 また、安倍晋三(Shinzo Abe)首相はあいさつに立ち、「核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取り組み」を日本が主導していく決意を改めて表明した。

 米軍は1945年8月6日にまず、広島に原爆を投下。爆発自体からは生き延びたものの、被爆が原因で間もなく亡くなった人々を含めて約14万人が犠牲になった。長崎にはその3日後に原爆が投下され、約7万4000人が死亡した。(c)AFP