「聖人視されたくない」、マンデラ氏の本音集めた私文書集出版

10月11日 16:47


南アフリカ・ヨハネスブルク(Johannesburg)で、自動車事故で死亡したひ孫、ゼナニ・マンデラ(Zenani Mandela)さんの葬儀に参列するネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)元大統領(2010年6月17日撮影)。(c)AFP/ALEXANDER JOE


【10月10日 AFP】南アフリカのネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)元大統領(92)が記した手紙や日記、獄中ノートなどをまとめた書籍『Conversations with Myself(わたし自身との対話)』が12日、出版される。  反アパルトヘイト運動の象徴として世界的に名高いマンデラ氏だが、偶像化された後ろにある一個人としての姿を明らかにするという趣旨で、ネルソン・マンデラ財団(Nelson Mandela Foundation)がこのほど数十年分の私文書を編さんした。 ■「聖人扱い」に抵抗感  少数派の白人が掌握する南アフリカ政府が展開した非白人に対する人種隔離政策、アパルトヘイトに対する闘いの先頭に立ち、ノーベル平和賞も受賞したマンデラ氏は本書の中で、自分の実像から外れた「聖人扱い」はされたくはないと語っている。  南ア紙サンデー・タイムズ(Sunday Times)が10日紹介した抜粋部分には、こうある。「獄中でわたしを最も悩ませたことの1つは、意図せずして外の世界では、わたしがあたかも聖人のようなイメージで見られていることだった」  また、若い頃の至らなさについて回想し、「若かりし日のわたしは田舎の少年の弱さと過ち、浅薄さの塊だった。ものの見方や経験は、もっぱら自分の育った地域や、通わされた大学での出来事にばかり影響されていた。自分の弱さを隠すために、わたしは傲慢さに頼っていた」ともつづっている。  マンデラ氏はこれまでも自分の欠点について公に語っているが、南アフリカではマンデラ氏への崇拝の念が非常に強く、批判的な言葉はほとんど聞かれることがない。 ■獄中からの家族への手紙も  獄中のマンデラ氏が家族に宛てた手紙も、今回収録されている。  英サンデー・タイムズ(Sunday Times)は、1970年8月に当時の妻、ウィニー・マンデラ(Winnie Madikizela-Mandela)さんに書いた手紙を抜粋紹介した。「血肉、骨の髄、魂まで苦い思いでいっぱいだ。あなたがすさまじい苦難の時を体験しているであろう時に、何も手助けできないことは、あまりに苦々しく、自分の完全な無力さに打ちのめされる」  69年にウィニーさんも投獄された際には、当時9歳と10歳だった2人の娘に「あなたたちは今、孤児のように暮らしていることでしょう。家も両親もなく、当たり前にあるはずの愛もなく、お母さんが愛情を示してくれることも、守ってくれることもないのだから」と書いている。  一方、マンデラ氏の釈放後に離婚したウィニーさんとの確執を記した手紙もある。  87年には友人への手紙で、ウィニーさんへの手紙に娘たちがよく育ってくれたと書いたところ、ウィニーさんが怒り心頭で「あなたではなく、わたしがあの子たちを育てたのです」と返事をしてきて驚いたと記している。また、最初の妻との間にできた長男が69年に24歳で事故死した際には、葬儀への参列を許されなかったとも明かしている。 ■南ア政界の腐敗に懸念  手記の中では、近年の南アフリカで問題化している政治の腐敗に対する懸念も示されている。「かつての革命派は実に簡単に欲に屈し、個人的な富を肥やすために公的資金を流用するやり方についに飲み込まれてしまう。彼らが行っていることの実態は、大衆を切り捨て、過去の抑圧者たちに連なって、貧者の中でも最も貧しい者から情け容赦なく奪ったものによって、私腹を肥やす行為だ」    アパルトヘイトに抵抗し、27年間を獄中で過ごしたマンデラ氏は90年に釈放されると政府との交渉を率い、94年に実施された同国初の全人種参加選挙で、初の黒人大統領となった。1期を務めたのち、99年に政界を引退。近年は体調を崩しがちで、04年に公的活動からも引退したが、今年7月のW杯南アフリカ大会(2010 World Cup)決勝では久しぶりに公の場に姿を見せた。  新刊について、マンデラ氏自身がコメントなどを発表する予定はないという。(c)AFP