「新たな日本の顔」安倍首相、相次ぐ不祥事で「美しい国」づくり頓挫

09月12日 20:38


2007年9月12日、東京の家電店のテレビに映し出された安倍晋三(Shinzo Abe)首相辞任会見の生中継。(c)AFP/Yoshikazu TSUNO


【9月12日 AFP】2006年9月、初の戦後生まれ、戦後最年少の首相として鳴り物入りで就任した安倍晋三(Shinzo Abe)首相(52)。「戦後レジームからの脱却」を掲げる若く自己主張が強い同氏はまさに、「新たな日本の顔」だった。  しかし、相次いで閣僚の不祥事が明るみに出たことで、安倍政権は「変革」とはほど遠い、一時代前の「汚れて乱れた密室政治」の象徴とみなされるようになり、支持率は急落、12日についに辞意を表明するに至った。すべてが間違った方向に向かってしまったのだ。  3世議員で温厚な性格の安倍首相には、生まれながらにして政治家になるべくレールが敷かれていた。祖父の岸信介(Nobusuke Kishi)氏は第2次世界大戦時に閣僚を務め、戦犯として投獄されたこともある。戦後に総理大臣となり、政治生命をかけて米国との同盟関係構築に努めた。  メディアは当初、安倍首相が昭恵夫人と手をつないでタラップを降りる姿をこぞって放映し、ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)米大統領のスタイルと結び付けて報じた。日本では、政治家の妻が公の場に姿を見せるのは珍しい。  「美しい国」づくりをスローガンに、安倍首相は就任直後から、米国が草案を作成した憲法の改正を最重要課題に掲げて取り組み始めた。しかし、支持率をみると、有権者は憲法改正より年金などの身近な問題に関心があることは明らかで、7月の参院選で自民党結党以来初めて、参院第1党の座を明け渡した。  就任当初から一貫した北朝鮮に対する強硬路線は特筆すべきものがあった。さらに、小泉純一郎(Junichiro Koizumi)前首相時代に、過去の戦争をめぐる対立で関係が悪化した中国や韓国との関係回復にも努めた。中国政府は安倍首相のこうした姿勢を「歓迎すべき変化」と評価したが、国内では、華やかで人気のあった小泉前首相の後で苦労した。  小泉前首相は自民党を救うために「自民党をぶっ壊す」と宣言し、2005年には派閥にとらわれない組閣を行った。これとは対照的に、安倍首相は合意による政権運営を強調。親しい議員を内閣に据え、郵政民営化に反対して小泉政権時代に離党を強いられた造反組の一部を復党させるなどした。  テンプル大学ジャパンキャンパス(Temple University)の学者ジェフリー・キングストン(Jeffrey Kingston)氏は「問題は、小泉前首相がこれまでの慣習を変えたことだ。彼は常に短いメッセージを夕方のニュースに間に合うように発し、それを繰り返していた。それに対し、安倍首相は長くしゃべりすぎていた」と指摘した。  安倍首相の支持率は、高齢化が急速に進展している日本では非常に微妙な問題である年金記録漏れ問題の発覚以降、急落していた。(c)AFP/Shaun Tandon