いま着けたいのは、“物語” のある時計--。その興味深いストーリーを知るほどに魅力は深まるばかり。ここに現代の名品たちを主役にした珠玉の短編集を編んでみた。



CARTIER
人間誰しも、何にも縛られず自由に旅をしてみたいと思うものだ。しかし残念ながら今は、社会情勢がそれを許してはくれない。それならせめて時計だけでも、自由でありたいではないか。
世紀末のパリに現れた伊達男サントス=デュモンは、気球や飛行機を操り、パリの空を自由に旅した。郊外のレストランに飛行船で乗り付けるのが好きだったという彼の腕元にあったのは、操縦しているときも素早く時間を確認するために、友人の宝石商ルイ・カルティエが製作した可憐な角形ウォッチ。これこそが世界初の実用紳士用腕時計であった。
「サントス デュモン」は1904年に作られたこの時計を、現代的にアップデイトしたもの。新作のXLモデルは、オリジナルと同じく手巻き式ムーブメントを搭載しており、時代を同じくして生まれたエッフェル塔の鉄骨組みの造形美をイメージしたベゼルのビスも継承されている。
2針ノンデイトの角形ドレスウォッチは、正直なところ"実用品"ではない。現在時刻を知るためではなく、今という時間を楽しむために存在している。息苦しい日々が続くからこそ、この時計をつけた時くらいは、自由な時間を楽しみたい。サントス=デュモンのように生きるのだ。
文=篠田哲生
(ENGINE2020年9・10月合併号)