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PLAYING 2020.7.14 

【ENGINE・ハウス】住宅街で洞窟に住む 2台のポルシェと奇抜な形をした合理的思想の家

2台のポルシェは、まるでオーバーハングした岩壁の下に止まっていた。住宅街に忽然と現れた巨石。そこは不思議と居心地のいい家だった。

道路からだと窓一つ見えない、濃いグレーの幾何学的な形のSさん(会社経営53歳)のお宅。周りは古くからの落ち着いた住宅が多い地区だけに、ひときわ存在感がある。これはSさん夫婦が、新たにSさんのお父様と3人で住むために建てた家だ。

2階は3本1組の銀色の柱が天井を支えることで、360度が窓の空間が可能に。天井の溝に照明を埋め込み、テーブルや棚なども作りつけにし、空調器具を棚の下に隠して床下温冷風空調を採用することで、遮るものがない解放感溢れる空間となっている。照明のスイッチを廃し、センサーが人間の動きを感知して自動的にライトをオン・オフするシステムを採用したのは、建築家の合理的思想の現れ。

最初は家を建てる計画は無く、2年近くマンションを探したSさんたちだが、1家族でも2家族でもなく、1.5家族が快適に暮らせそうな部屋は見つからなかった。そこで方向転換し、建築家に依頼して希望の家を建てることとした。設計はアールテクニック一級建築士事務所を主宰する井手孝太郎さん。

Sさん夫婦と井手さんの出会いは全くの偶然だ。夫婦二人、別々の機会に井手さんが設計を手掛けた集合住宅を目にし、気になっていた。そこで二人でこの建物を見に行った際に出会ったのである。井手孝太郎さんは、軽井沢の別荘「Shell」で世界的に知られる建築家だ。楕円の白いパイプ状の造形が特徴だが、この形になったのには深い訳がある。この別荘は湿度が高い土地に建つため、地面から浮かせ、建物を傷めないようにとの配慮からこの形状になったのだ。できるだけ建て主に長く快適に住んでもらうため、形は少々奇抜かもしれないが、合理的な思想に基づいて設計するのが井手さんのやり方なのである。

高低差4mの敷地

右の写真の左右でおよそ1.5m、左手奥では4mと、高低差のある敷地を考慮して、土留めとなった分厚い壁が建物の外壁を兼ねる、独特の構造を採用。壁の最頂部は、地面から7mの高さがあるだけでなく、道路側に大きく張り出しており、少々の雨でクルマが濡れることはない。 その張り出した2階部分の壁の裏側は、バルコニー空間を広く見せることに。壁の色は濃いグレーに見えるが、光の当たり具合で印象が大きく異なる。外部からは無機質で閉鎖 的な印象を受けるが、2階は開放的で温かな雰囲気が。ポルシェ911は、奥様が特別な外装色を選んだだけでなく、内装にウッドパネルをオーダーしたレアなもの。

さて、Sさんたちが手に入れたのは、坂道の途中にある土地。上の写真の右手と、一番高い隣家との境とでは、4m近い高低差がある。そこで建築家は、奥の高い部分の土留めを行う分厚い壁に家の外壁を兼ねさせ、さらにこの壁を螺旋状にぐるりと回し、内部に2階分の居住スペースを配した家を設計した。これが一番空間に無駄がないのだそうだ。さらに来客が多いので、近隣への音を配慮し、音が上に向かうようにと、建物の下が狭く上に向かって広がった形状を採用した。そのため駐車スペースの上にまで壁は大きくせり出している。この独創的な形も、合理的な理由があってのことなのだ。

しかしこれほどまでに個性的な住宅で、果たして高齢のSさんのお父様は大丈夫だろうか……。そんな心配は無用のようだった。完成間近のこの家を見たお父様は、「もっとチャレンジしてもよかったのに」とコメントしたとか。実はSさんのお父様は、某電気メーカーのエンジニアとして時代を変える数々の製品を世に送り出した人。普通とは異なるものも、しっかりと楽しむ精神を持ち合わせていたのだ。

1階と2階で大きく雰囲気の異なるS邸。表情豊かな壁は巨石のよう。特に1階は窓が無いので洞窟のような雰囲気だ。玄関スぺース左手の斜めの壁は、道路側に傾いた壁の裏側。この斜めの空間を利用し、大ぶりの枝や季節の花を活けることが多い。このように多くの壁は角度がついており、垂直の壁が少ないのもS邸の特徴のひとつ。
1階の浴室も、天窓から外光が差し込む構造。Sさんはテレビを持ち込み、のんびりとバス タイムを楽しむことも。
建築家の井手さんは3DのCADの使い手として世界的に知られており、このソフトのお蔭で、独創的な建築設計が可能となっている。プレゼンもCGで行い、建築模型は作らない。

完成したS邸の1階の間取りは、2つの寝室と水回りなど。壁は、外部も内部も同じように表情のある左官仕上げが施されているうえ、採光は上部から差し込む光が中心である。昼でも暗く、どこか洞窟の中にいるようだ。眠るには暗い方が理にかなっているのは言うまでもないが、不思議な安心感がある。

インテリアに統一感があるのは、最初から置く家具を念頭に入れて設計されたため。座面長が左右で異なり様々な姿勢で寛げるソファは、イタリアはminotti社HamiltonIslands。ダイニングチェアはB&B Italia社、シャンデリアはmoooi社のものと、吟味されたものが選ばれている。
Sさん夫婦は共に料理が得意で、キッチンはリビングダイニングの棚の延長上のオープン な一角に。季節の良い時期は、バルコニーで朝食をとることも。この部屋で、世界的に知られる映画監督が化粧品のCMを撮影したことがある。

一方2階はリビングダイニングだけのシンプルな間取り。1階と対照的で、全面に窓が設けてあり、明るく開放的だ。平面図の通り、2階も複雑な形だが、残された空間をできるだけ広く活用できるようにした結果である。予め納入が決まっていたソファを中心に無駄なく内装が設計されているうえ、窓の外はバルコニーとなっているので、面積以上に広さを感じるものだ。

911はMTに限る!?

旅行には列車や飛行機を使わず、交代でドライブしながら出かけることが殆どというSさん夫婦のカーライフも充実したものである。そもそも奥様はスタイリストなので、仕事柄衣装などの運搬にクルマは欠かせない。そんな奥様が選んだのがポルシェ・カイエン・ターボ(2012年型)だ。この業界で人気のゲレンデヴァーゲンにも一時期乗っていたが、取り回しがしやすく、よりスタイルに合っているカイエンに乗り換えた。

若い頃のSさんは、ランチア・デルタ・インテグラーレに乗っていたほどのクルマ好きだが、奥様はさらに好きで、主たるクルマがSUVならば、2台目は4ドア・セダンではなくスポーツカーにすべきと提案。そこでSさんが選んだのがPDKのポルシェ911だった。ところが奥様は「マニュアルの方が面白いのでは」とさらなる提案を。そうして4年で乗り換えた今の911カレラSのMT(2016年型)は、「たしかに運転して面白い」そうだ。

個性あるものの魅力

だが、この2台とは別に、Sさん夫婦で取り合いとなるクルマがある。「町中を走るのが楽で駐車もしやすく、意外と荷物も積める」スマート・フォーツー・クーペ・カブリオ・ブラバス(2013年型)がそれだ。乗り心地や騒音の点では「洗練されたポルシェ」に遠く及ばないが、逆に運転して面白く、今回の取材の数か月前に亡くなられたお父様も助手席に座るのを楽しんだという。

思えばSさんのお宅は、一般的な理想の家とは対極の、個性溢れる家である。招かれた友人たちは、「驚き、色々と意見を述べるが、結局最後は昼寝をしていることが多い」とか。「なんだかんだ言って、居心地がよいのでしょう」。

Sさん自身も、この家ができてから家で過ごす時間が長くなったと話す。なるほど。楽しいクルマ、楽しい家とは、圧倒的な個性が生み出すものかもしれない。

■建築家:井手孝太郎 1965年東京生まれ。武蔵野美術大学卒業。横河設計工房などを経て独立。代表作のShell は世界的に知られた建築で、『世界の戸建て住宅100』(Taschen社2012年)の表紙となった。Breezeは、人気の集合住宅。長年のドイツ車党だが、ベンツSLKに近年は電気自動車のアウトランダーPHEVが加わった。

文=ジョー スズキ  写真=山下亮一

(ENGINE 2017年10月号)

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