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CAR 2020.8.22 

高平高輝さん/スーパーカーのフェラーリF40で300km/hを初体験 

それぞれの人生で出会った「決定的なクルマ」について綴ったエッセイです。自動車ジャーナリストの高平高輝さんが選んだのは、「フェラーリF40」。人生を変えたクルマの物語をどうぞお楽しみください。

日暮れて途遠し

それまでの数少ない経験値を根こそぎ吹っ飛ばすとんでもないクルマだった。当時は谷田部にあった日本自動車研究所のテストコース。助手席で計測器を抱えて、実測300km/hを経験した。

人生が一変するほどのインパクトを受けた車、それはフェラーリF40です!と言い切れれば、いかにもカッコよく業界人ぽいですが、私の場合それはちょっと言い過ぎというか正しくはありません。昔話のいいところだけ切り取って、ドラマチックでモリモリ盛ったエピソードにすることもできますが、ここは地味でも正確な表現というか、現実的な経験談のほうが求められているのではないかと判断しました。そもそもF40が登場した1987年頃、自動車雑誌編集部に入りたての20代真ん中ぐらいの知識も経験も少ない若造が、あのF40を本当に理解できるレベルに達していたのかと考えれば、当然そんなことはないわけです。もちろん、衝撃的でした。それまでの数少ない経験値を根こそぎ吹っ飛ばされるぐらい、とんでもない車でした。計測器を抱えて助手席に座り、日本上陸1号車のテストをお手伝いしたのですが(隙を見て自分でも少しだけ運転した)、たとえば当時谷田部にあった日本自動車研究所のテストコースで初めて300km/hオーバーを間違いなく経験したのもF40のテストの際でした。メーター読みで300km/h出た、というものではなく、ライツ・コレヴィットという当時使っていた非接触式計測器の表示でも1km直線区間の平均タイムでも確実に超えたのはあれが初めてだったと思います。あの当時の高性能車の速度計は現在に比べればだいぶ楽観的というかメーカー公称値とかなり差がありました。ただし整備されたテストコースでもその速度域ではスタビリティが低く、緊張しっぱなしだったことも覚えています。

その後F40には何度か試乗する機会がありましたが、特に初期型がブレーキもクラッチもめっぽう重く、何らのアシスト機構も備わらないせいで、いやもう野生馬そのものでした。これでロードカーと言えるのか、と疑問に感じたぐらいですが、当時はそれで許されたのです。マクラーレンF1ロードカーも同様、さらに言えばメトロ6R4とか、フォードRS200(市販モデル)など変わり種の限定車も野蛮のひと言。RS200は箱根でも乗りましたが、あまりのお粗末な仕上がりに度肝を抜かれました。グループBラリーカーのベース車両だからといっても、いくらなんでも杜撰すぎ、その点、ランチア・ラリーやS4のストラダーレは、ランチアとして恥ずかしくないレベルに仕上がっていました。

自動車雑誌編集部に潜り込んでからこれまでの30年余りの間に、本当にたくさんの車に乗る機会がありました。もちろん、自分で所有したものはごく少なく、ほぼすべてオーナーから借りて試乗、あるいは試乗会に参加するという形ですから限りもあります。若い頃はメインの担当になるはずもなく、先輩方の後をついて回るのがせいぜいでも、そこで指をくわえているのではいつまで経っても触れるチャンスはめぐって来ない。お手伝いします! とアピールして常に周りをウロウロしているわけです。まあ、当時は時間に余裕があったのでしょうが、その毎日が勉強だったことは間違いありません。当時はTV番組を(今も続いていますが、制作体制は昔とは別物)制作していたこともあり、その種のチャンスは多かったのです。そうやって多種多様な車に乗っているうちに自分なりの物差しが出来てきたのだと思います。

同じ小説でも大人になってから読むとまるで違うように、知識と実体験が自分の中で一緒に消化できて初めて身になるわけですが、実体験が難しい車は依然として多数あります。自分と同時代以前に生まれた希少車が代表格で、私の場合はフェラーリ250GTシリーズやフォードGT、ポルシェ908などを本格的に走らせた経験がありません。ポール・フレールなどからさんざん聞いた知識を今も確かめることができないままです。新型車はもとより、過去の傑作も何とか試してみたいと今なお強欲に考えているのです。

文=高平高輝(自動車ジャーナリスト) 写真=Ferrari S.p.A.

(ENGINE2020年7・8月合併号)

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