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CAR 2020.9.13 

人生を変えたクルマ イタリアン・デザインのアルファ・ロメオ166に一目惚れ

それぞれの人生で出会った「決定的なクルマ」について綴ったエッセイです。自動車ジャーナリストの島崎七生人さんが選んだのは、「アルファ・ロメオ166」。人生を変えたクルマの物語をどうぞお楽しみください。

一番自分に合っていた

ジウジアーロの大ファンという島崎七生人。姿のいいイタリアン・デザインのクルマとして、アルファ・ロメオ166が忘れらない。

アルファ・ロメオのフラッグシップ・サルーンとして1998年にデビューした。2003年秋のマイナーチェンジでフェイスリフトを受け顔つきが変わった。2008年生産終了。

W201型メルセデス・ベンツ190EとVWゴルフIIのGTI(最初のSOHC版)の2台は、実は僕の仕事上の“メートル原器”となったクルマ。どちらも導入当時にヤナセ主催の報道試乗会で乗り、190Eは床が岩のような乗り味やなめらかなステアリング・フィール、シートの良さなど、とにかく圧倒的なクオリティの高さに驚かされた。ゴルフGTIは、胸のすくエンジン・フィールと思いのままに山道を駆け抜けるハンドリングに感銘を覚えた。

他方でプライベートでは、運転免許の交付2日前にディーラーのセールスマンと所長が自宅の庭に届けてくれたいすゞ117クーペが最初の“愛車”だった。初志貫徹の精神に欠ける……と中学校時代の通信簿の所見の欄に書かれていたことを思い出したかどうかは忘れたが、もともとG・ジウジアーロの大ファンだった僕は、117クーペには13 年ほど乗り、以降もVW初代シロッコ、いすゞ初代ピアッツァなどに乗った。“ジウジアーロ・シリーズ”の最後はフィアットの初代プント。CVTがいささかショボかったが、小さなボディだがスーツケースをいくつも積んで成田から帰ってこられる、秀逸なパッケージングを実感した。

ところで最初に自身で乗った117クーペは、その後の僕のクルマに対する趣味趣向を決定づけた。姿のいいイタリアン・デザインのクルマは乗っていて何と気持ちいいことか、と。時が流れて、僕は本物のイタリア車に染まることに。といってもフェラーリ、ランボルギーニといった世界はせいぜいミニチュア・カーを愛でていられればそれで十分だった。そしてある時、乗っていたVWコラードVR6から、ふとアルファ164に乗り換えた。初のイタ車、華麗なる転向(笑)だった。

以降、僕は“アルフィスタ”の仲間入りを果たし、164を皮切りにGTV、156と乗り継ぐ。いずれもV6エンジン搭載車だった。そして156(2・5LのV6、6速MTだった)のクラッチレリーズがイッたのを機に、今度は当時156の上級モデルとして用意のあった166に乗り換えた。

と、そこからまったく脇目をふらなくなったのである。166の持て余さない少し余裕のあるボディサイズ(156より小回りも効き、都心のコインパーキングでもスッとクルマが収められた)、何しろなめらかで神経を逆撫でしない乗り味(赤いレターの入った英国生産のピレリPゼロ・ロッソはベストだった)や自分の操作に対するクルマの反応、間合いが仕立てたスーツのように身体に馴染んだ。派手ではないが存在感のあるスタイリングは、何年経ってもまったく飽きることはなかった。ただし最初に乗ったクルマはボディのあちこちからキシミ音が出るなど個体として満足できず、そこでフェイスリフト(があったことすら忘れているほど、後期型のマスクを僕はまったく認める気になれなかった)直前、初期型のルックスのうちに……と2台目の166に乗り換えた。1台目は何となくミステリアスな“ネプチューングレー”を選んだが、2台目はプレーンなライトグレーメタリック(シルバーメタ)にした。1台目は2年少々で手放したが、2台目は母が他界した2003年から乗り始め、終(つい)のクルマにしてもいいかも知れない……の思いで、十数年もち続けた。最後は諸般の事情でディーラー手配のキャリアカーに載せられドナドナしていったが、車両確認をしてくれたメカニック氏から「リスか何かが住んでいた形跡があって、V6の吸気管あたりが木の実のカラだらけでした」とメールで写真が送られてきた。

166が我が家のガレージから消えてもう数年が経つ。今はフィアット500の1台で暮らしているが、166があった頃のさまざまな思い出は今でも昨日のことのようだ。生涯であれほど自分で“合っている”と思えるクルマに出会える機会はたぶんもうないのではないかと思う。

文=島崎七生人(自動車ジャーナリスト)

(ENGINE2020年7・8月合併号)

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