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CAR 2020.8.13 

アンドレア・ザガートさん/人生を変えたクルマ イタリアの老舗カロッツェリア、ザガートがつくったアルファ・ロメオS.Z.

それぞれの人生で出会った「決定的なクルマ」について綴ったエッセイです。イタリアの老舗カロッツェリア・ザガート社三代目のアンドレア・ザガートさんが選んだのは、「アルファ・ロメオS.Z.」。人生を変えたクルマの物語をどうぞお楽しみください。

大丈夫だ、これで行ける

祖父ウーゴ、父ジャンニの後を継ぎ、イタリアの老舗カロッツェリアであるザガートの3代目に就いたアンドレア氏。生き残るため「改革」を進めた彼の下で、初めて生まれたクルマこそがこのS.Z.だ。

私の人生を変えた1台を問われたら、何の迷いもなく即座にアルファ・ロメオS.Z.を挙げる。

飛行機会社で航空機製作のノウハウを学んだのち、祖父ウーゴが自動車製作の世界に飛び込んだのは1919年のこと。ミラノにカロッツェリア、ザガートをおこした。私の父はごく自然な流れで家業を継いだ。ジュリエッタ、ジュリアのザガート・モデルは祖父と父たちが作り上げたもの。いま眺めても美しいクルマだと思う。それでも私は就職を考える時期になったとき、家業を継ぐことに迷いがあった。周りは当然私も父と同じ道を歩むと思っていたはずだが、私自身にはザガート家の三代目になることに抵抗があった。

それは、自動車製作の変化によって、ザガートのような小規模なアトリエは難しい時代に突入すると考えたからだった。フレクシブル・ラインの誕生によって、クーペからスパイダー、シューティング・ブレークまでメーカーの工場でのアセンブリーが可能になれば、小規模コーチビルダーは消滅する。ザガートは生き残れない。あの頃の私はこう悲観的に考えた。家業があるのはいいですねとしばしば言われるけれど、とんでもない。時代の変化の中で守り、発展させて行くことはとても難しい。それで卒論を書き終え、大学を卒業したら家業にはサヨナラしてロンドンで働こうと思っていた。

ところがどうだろう、私は結局、あれほど嫌った後継ぎという道を選ぶことになる。ミラノを離れることが嫌だったのではない。ロンドンに怖気付いたわけでももちろんない。私はザガートが好きだった。これに気づいてしまったからだった。

ザガート改革の第一弾

しかしいくら好きでも自爆の道を歩むわけにはいかない。自分が継ぐ以上、「改革」が必要だと考えた。我が一族が大切に育てた、私が大好きなザガートを守るためには、モダナイズしなければならない。と言っても自動車メーカーに対抗する規模拡大を考えたわけではない。私が目指したのは逆。さらにザガート色を強めることだった。ひとつにはデザイン、もうひとつはハイレベルなエンジニアリング。マスではなくエンスージアストに向けて、オートクチュールのようにクルマを製作したい。「ゴー・バック・トゥ・ザ・アトリエ」、これが私の考えた改革である。

この第一弾となったのがアルファ・ロメオS.Z.だ。1989年のジュネーブ・ショーでES30という名のコンセプトモデルとして発表、この年、S.Z.とネーミングされて生産車となった。軽量を得意としたザガートは伝統的にボディにアルミを用いたが、S.Z.ではスチール・ボディにFRPカウルを装着した。これにより車重は1290kgに抑えることができた。エンジンはアルファ・ロメオ75ターボIMSAからのデリバリー。パワーはオリジナルより32馬力ほど増強された。リア・サスペンションは75と同じくド・ディオン。トランスアクスルによって理想的な前後重量配分を得た。

しかし私の立場でもっとも思い出深いのは、このモデルで初めてCAD、CAM、CAEという3つの計算システムを用いたことだろう。我々の規模のアトリエでは相当早い導入だったはず。その後、ランチア・ハイエナやフェラーリFZ93、ランボルギーニL147とLM003のプロジェクトも同様に行った。自動車だけではない。ヨットなどでも採用した。いずれもS.Z.での経験がパイオニアになったということだ。

S.Z.を製作することで、私は仕事の上で確信のようなものを掴んだ。「大丈夫だ、この方向で進んでいける」。このモデルののち、ザガートは私が望んだ本格的なアトリエの道を歩み、1993年、私は責任者に就任した。S.Z.は2019年に創業100年を迎えたザガートにとって会社を新たな時代に導いたモデルだが、私にとっても同じだ。このクルマによって私の人生は大きく変わった。

文=アンドレア・ザガート 翻訳=松本 葉

(ENGINE2020年7・8月号)

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