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CAR 2020.9.10 

コロナ時代の今、イタリアの国民的コンパクトカー、初代フィアット・パンダには未来に繋がるヒントがある

それぞれの人生で出会った「決定的なクルマ」について綴ったエッセイです。自動車ジャーナリストの岡崎五朗さんが選んだのは、「初代フィアット・パンダ」。人生を変えたクルマの物語をどうぞお楽しみください。

未来につながる価値

これまでたくさんのクルマに試乗し、 のべ20台を所有してきたが、 最高のクルマとして浮かんだのは父・岡崎宏司氏の購入に付き添ったお店で衝動買いした初代パンダだ。

延長された緊急事態宣言もいずれは解除されるだろう。けれどコロナとの戦いはこれからも続く。日常での三密回避が求められるのはもちろんのこと、海外との行き来も厳しく制限され続けるに違いない。

人との交流や経済活動の制限と引き換えに得た静かな街、澄み切った空を見上げながら、世界の人たちはいま何を思い、何を考えているのだろうか。もしかしたら彼らの心の中に大きな変化が起きつつあるのかもしれないし、起きないのかもしれない。けれど、自分という小さな主語で言うなら答えははっきりしている。「変化は起きた」だ。

古今東西のあらゆるクルマに試乗してきた。合計二十数台のオーナーにもなった。そんななか、いま考える最高の1台として脳裏に浮かんだのはイタリアの素晴らしい箱……初代パンダである。荒々しさの中に鋭利な洗練を秘めた空冷911も、囁くような吐息がセクシーなデイムラー・ダブルシックスも、テスラの新しさもアフリカの砂漠で走らせたレンジローバーの逞しさもフィオラノで走らせたフェラーリの刺激も一生忘れられない経験だ。けれど1台だけを挙げるとするならどうしてもパンダは外せない。なぜって、こういうベーシックでプリミティブな存在こそが未来へとつながる価値だと思うようになったから。

速くないけど楽しい

パンダとの出会いは偶然だった。父がアルファ・ロメオ155を買いにいくというので一緒に田園調布のチェッカーモーターズを訪れると、ショールームの片隅にブルーのパンダがたたずんでいた。ジャケ買いならぬ衝動買いである。パワーはたったの50ps、リヤ・サスはリジッド、タイヤは155の13インチ。正直走りには期待していなかったが、恋におちるまで時間はかからなかった。シフト・レバーのしなりを感じつつスコッと入りスルッと抜ける5段MTは病みつきになるほど気持ちよかったし、エンジンも美味しかった。とくにアクセルを踏み込んだ瞬間のツキのよさは700㎏台という超軽量ボディと相まって“スポーティ”と表現できるほど。タコメーターはなかったけれど、エンジンが苦しげな声を出しはじめるタイミングを見計らってシフト・アップしてやると再び気持ちのいい加速をみせてくれた。もちろん全然速くなんてなかったけれど、美味しい回転域での溌剌としたパワーフィールとしなやかな駆動感はいまでもはっきりと覚えている。

ステアリングはノン・パワーアシストながら据え切りでもなんとか回せたし、タイヤがひと転がりさえすればラクに回せた。何より気に入っていたのがたっぷりしたサスペンションストロークが生みだす独特の乗り味だ。コーナーでは現代のクルマでは考えられないほど大きくロールしつつも意外なほどの粘り腰を見せ、高速直進性も上々だった。とにかく、軽自動車に毛が生えた程度のサイズなのに乗っていると心が豊かになり、それでいてミニのように同じクルマとすれ違っても手をあげて挨拶し合うような“お約束”がなかったのも僕には心地よかった。

ここまで書いて自分でも驚いたのは、25年も経っているのに当時の感触をリアルに覚えていること。これぞパンダがいかに個性的で楽しいクルマだったかの証拠。エンジンのパワー、 タイヤのグリップ力、 ロールの角度とか、そういう価値観を見事にぶち壊してくれたのがパンダだった。

今後われわれの前に待ち構えているのは未曾有の景気後退だ。EVに補助金を出す余裕なんてないよと言い出す国も出てくるだろう。かといって僕はいままでのように脳天気に豪華さや高性能を追い求める気にはなれない。環境へのインパクトを最小限に抑えつつ、でも心を豊かにしてくれる安価でプリミティブなコンパクトカーに魅力を感じはじめるのはきっと僕だけじゃないはずだ。そんなふうに考えたとき、 パンダの在り方は未来への大きなヒントになる。

文=岡崎五朗(自動車ジャーナリスト)

(ENGINE2020年7・8月号)

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