2019.06.04

LIFESTYLE

日本人に愛されるクリムト。今年は没後100+1年

世紀末を代表する画家、クリムトの作品が見られる美術展が都内3カ所で同時開催されている。その人気の背景には、クリムトの日本に対するリスペクトがあった。
《ユディトⅠ》1901年
未亡人ユディトが敵地に乗り込み、敵将のホロフェルネスを酔い潰し、その首を切り落としたという旧約聖書外伝のエピソードが主題。画面の背景に金箔が使用されており、日本で版画や蒔絵を学んできた友人、エミール・オルリクの影響が考えられている。
ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館 © Belvedere, Vienna, Photo: Johannes Stoll


今、東京はクリムトに溢れている。クリムトとは、オーストリア、そして19世紀末美術を代表する画家、グスタフ・クリムト(1862〜1918)のこと。《ユディトⅠ》のような、華やかな装飾性と艶めかしさ、そしてちょっと怖さも持つ作品は現在も私達を魅了する。実際に《ユディトⅠ》の前に立って見ると、なんだか叱られているような気持ちにすらなっている。単なる絵なのに……! 現在このクリムトをテーマにした展覧会が、目黒区美術館の『世紀末ウィーンのグラフィック展』、国立新美術館の『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』、そして東京都美術館で開催されている『クリムト展 ウィーンと日本 1900』と、3つも開催されているのだ。いったいなぜに?


実は、昨年の2018年はクリムトの没後100年。彼の故郷、ウィーンでは大規模な回顧展がいくつも開催され、どの路地にも、クリムトのポスターが貼ってあったという。そして年が明け2019年、このクリムト・ブームが東京へやってきたというわけ。もちろん、ブームが伝播するというのは、日本側にもクリムトを愛する人が多かったからにほかならない。そして、日本でクリムトがここまで愛されている理由の一つに彼の「日本へのリスペクト」があったことが考えられている。


《ヘレーネ・クリムトの肖像》1898年
クリムトの姪、ヘレーネの肖像画。当時、彼は明るい陽光 を巧みに捉えた印象派や、ベルギーやフランスで勃興していた象徴主義の絵画に影響を受け、自身の表現に取り込もうとしていた。凛とした横顔の肖像画は、ルネサンス時代より肖像画の伝統的なスタイル。
ベルン美術館(個人から寄託)
Kunstmuseum Bern, loan from private collection


1873年、オーストリアで「ウィーン万国博覧会」が開催された。日本が国として初めて公式参加をした万博で、明治政府はこの万博に気合を入れまくった。神社や日本庭園、大きな提灯など西洋の人々が好きそうな日本をたっぷりと展示、クールジャパンを大々的に押し出していたのだ。そのなかで、ウィーンっ子たちが特に魅了されたのが、やはり精巧な美術工芸品たち。クリムトはあらゆる世界中の美術やデザインの流れに興味津々だったため、ゴッホのようにどっぷり日本かぶれにはならなかったけれど、明らかに浮世絵に着想を受けたと考えられる構図の絵を描いたり、また浮世絵や甲冑、鐙などを集めるようになっていった。あからさまではないけれど、クリムトの作品からかすかに感じられる日本の香りが、私達をときめかせているのだ。《ユディトⅠ》だって、見ようと思えば琳派の作品のようにも感じられるし。


クリムトは、残念ながら日本にはあまり作品がない。だから、この3つの展覧会は非常に貴重なもの。美術館をハシゴしながらクリムト三昧の休日というのも楽しそうだ。


《アッター湖畔のカンマー城Ⅲ》1909/10年
クリムトは、30代半ばから避暑地のザルツカンマーグートを毎夏訪れ、浮世絵や水墨画も参考に、風景画を製作し、新しい表現を試みていた。本作品では日本美術の影響はあまり受けていないものの、スーラやシニャックが描いた点描画を彷彿とさせるものだ。
ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館
© Belvedere, Vienna, Photo: Johannes Stoll


上の3作品はすべて『クリムト展 ウィーンと日本 1900』より。7月10日まで上野の東京都美術館で開催中。 https://klimt2019.jp 『ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道』は8月5日まで六本木・国立新美術館、『世紀末ウィーンのグラフィック展』は6月9日まで目黒区美術館で開催中。


文=浦島茂世(美術ライター)

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