2019.06.07

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ブライトリングの旗艦モデル「クロノマット」に託された想い/第1回 [歴史篇]

「ENGINE WEB special issue for BREITLING」の1回目は歴史篇。今日では、日本限定モデル「クロノマット JSP」をはじめ、高品質・高機能で他の追随を許さないブライトリングは、どうやって“クロノグラフの名門”と呼ばれるまでになったのか? 決して平坦ではなかったその歩みを紐解く。

ブライトリング「クロノマット JSP」とは?

1884年、ブライトリングはスイス・サンティミエで創業した。1942年に世界初の回転計算尺付きクロノグラフを発表した名門は、今も高機能で高精度な“プロフェッショナルのための計器”をつくり続けている。なかでもクロノマットは、自動巻きクロノグラフの代名詞として知られるブライトリングの代表作。独自の外装は高い防水性を、搭載される自社ムーブメントは高精度を誇るだけでなく高耐久性も実現している。“JSP”は「JAPAN SPECIAL(=日本特別仕様)」の意。文字通り、日本人の嗜好に合わせ日本サイドがスイス本国にオーダーし、製造され、日本国内のみで発売される特別限定モデルだ。


BREITLING/ブライトリング
CHRONOMAT JSP ROMAN INDEX LIMITED/クロノマット JSP ローマン インデックス リミテッド

1996年に発表された「クロスウィンド」の、視認性が高いローマン・インデックスと、クロノマットの代名詞である伝統的なライダータブ付きベゼルを採用した500本のみの日本限定モデル。自動巻き。ステンレススティール、ケース直径44㎜、200m防水。税別90万円。


ブラック・ダイアルにアップライト・ローマン・インデックスが華やぎを添える。SUS 316Lを鍛造した力強いデザインのケースは、ポリッシュとヘアライン、2種の加工が巧みに織り交ぜられている。
中央にサファイアクリスタルがはめ込まれたケースバックから見ることができる自動巻きクロノグラフ・ムーブメントは、COSC公認クロノメーターの自社設計・開発の「キャリバー 01」だ。

BREITLING HISTORY 1970年代「クオーツショック」

1970年代はスイス時計産業にとって苦難の時代だった。機械式時計が最も成熟した1960年代の末、日本の時計メーカーであるセイコーが発表した世界初のクオーツ時計が、時計製造を根底から覆すような衝撃を与えることになる。従来の機械式時計に比べケタ違いの精度を持つクオーツ時計は、発表当初こそ高額な製品だったが、70年代に入り、日本メーカーの度重なるクオーツ量産技術の革新によって価格が急激にダウンしていった。旧来の時計を駆逐する勢いでクオーツ時計は世界を席巻し、機械式時計にこだわり続けたスイス時計の名門ブランドが次々に廃業を余儀なくされる事態に陥った。これが世に言う“クオーツショック”だ。もちろんクロノグラフの名門、ブライトリングも例外ではなかった。


1884に創業したブライトリングは、1915年に誕生させた専用プッシュボタン装備の世界初の腕時計クロノグラフや、1934年に開発したクロノグラフのリセットボタン機構など、スイス時計業界におけるクロノグラフの第一人者としての地位を不動のものにしていった。


1900年に制作された、当時のブライトリングの広告。当時の工房名でもあった創業者レオン・ブライトリングの名前の左上に、“クロノグラフのスペシャリスト”と誇らしげに書かれている。下方の建物は、当時、時計の一大生産地ラ・ショー・ド・フォンのモンブリラン通りにあった工房。

とくに、ブライトリング家三代目のウィリー・ブライトリングは、経営のトップに就いた1930年代以降、世界の航空業界との密接な関係を築き上げていく。1938年に、プロの飛行士のために開発されたクロノグラフ・ウォッチなど、多くの時間計測器のパワーリザーブが8日間であったことから、「8」のフランス語である“ユイット”を盛り込み命名した研究開発部門「ユイット・アビエーション」を設立。1942年に、世界初の回転計算尺を組み込んだクロノグラフ『クロノマット』を発表し、その10年後の1952には、航空計算尺を装備した歴史的名作クロノグラフ『ナビタイマー』を開発するなど、ブランド中興の祖として、その名を歴史に刻んでいる。


ブライトリングの製品は“プロフェッショナルのための計器”である、というブランド哲学が生まれたのもウィリーの時代だったと言われている。そのウィリーも70年代後半になると、例のクオーツショックに加え、自身の高齢化や後継者難の問題に直面し、ブライトリングはブランド存亡の危機を迎えていた。


ウィリー・ブライトリング(1913~1979)。1932年、経営トップに就任。新設したユイット・アビエーション部門などで各種航空用計器を製作し、航空業界との密接な関係を築く。1952年には、航空用回転計算尺を装備した歴史的名作クロノグラフ「ナビタイマー」を開発するなど、ブランド発展に多大な功績を残す。

ウィリーとアーネストの出会いによって引き継がれたもの

この危機を救ったのが、アーネスト・シュナイダーだった。1950~60年代にかけてウィリー・ブライトリングの右腕としてマーケティングを担当していた盟友ジョージ・カスパリの紹介により、ウィリーとアーネストが初めて会ったのは1978年のことだった。病気がちだったにもかかわらず、ウィリーはアーネストに対し、ブライトリングの歴史やブランド哲学などを真摯にそして熱く語り、ブライトリングという時計ブランドを引き継いで欲しい意志を伝えた。ただし、ひとつだけ条件が提示された。それは、伝統ある機械式クロノグラフだけは守り抜いて欲しい、ということだった。


アーネストは、自分にとってひとつの矛盾が内在していることに気がついていた。エレクトロニクスのエンジニアだった彼は、軍隊で最先端の情報通信について教鞭を取る傍ら(実際、ジョージ・カスパリとは軍隊で知り合った仲だったという)、妻の実家の時計会社の経営も担い、持ち前の電子技術を駆使した画期的なクオーツ時計を次々に開発し、会社を急成長させていた。いずれクオーツ時計が機械式時計を駆逐するのだろう、と信じて疑わなかった。少なくともウィリーに出会うまでは……。


一方、パイロットでもあった彼は、ブライトリングはまさに敬愛すべき時計ブランドであり、実際にブライトリングのクロノグラフを数本所有し、リスペクトを込めて愛用していたのだ。さらにその頃の時計に対する人々の対応に疑念を抱き始めていた。クオーツ時計の価格が著しく低下したこともあり、まるで使い捨ての道具のように時計を大切に扱う気持ちが薄れていく風潮に違和感を禁じ得なかった。熟練した時計職人が丹精を込めて組み立てていく機械式時計にこそ、本当の価値が存在するのではないか。


アーネスト・シュナイダー(1921~2015)。電子工学のエンジニア。1979年、クオーツショックと後継者難で経営危機に陥っていたブライトリング社の事業を引き継ぎ、自動巻きクロノグラフ「クロノマット」を開発するなど、このクロノグラフの名門ブランドの救世主となった。

ブランド復興に向けた2人の情熱と誓い

アーネストは、ウィリーと何度か会ううちに心が決まっていった。ウィリーの誠意と時計に対する情熱がアーネストを変えていったのだろう。「私は単にブライトリングの経営を引き継ぐのではなく、ブライトリングの歴史も哲学も、すべてを継承いたします」と伝えると、ウィリーは涙を流して喜んだという。1979年、ブライトリングの経営を受け継ぐ契約が正式に結ばれ、ブライトリング復活のために全財産を投じたアーネスト・シュナイダーの戦いが始まった。


アーネストの基本戦略はこうだった。まず製品のカテゴリーとして3本の柱を構築する。ひとつはブライトリングの伝統の象徴とも言える『ナビタイマー』を継承すること。もうひとつがクオーツ技術を駆使した最先端の多機能パイロットウォッチを開発すること。そして3つ目の柱が、ブライトリング復活のシンボルとなる新型の自動巻きクロノグラフを開発することだった。この3つ目の柱こそが最も重要であり、かつ困難な事業だったことは言うまでもない。


何しろ時はクオーツ全盛の時代。機械式時計に対する逆風の中、新たな自動巻きクロノグラフを誕生させることは、ある意味、無謀な挑戦でもあった。が、このプロジェクトの成功なしにブライトリングの機械式クロノグラフの伝統を守り、かつ未来に向けて新生ブライトリングを発展させていく道はないと、アーネストは確信していた。ブライトリング復活を新型自動巻きクロノグラフに賭けたのだ。


しかし、それは想像以上に苦難の道だった。クオーツショックがもたらしたスイス時計産業の衰退により、クロノグラフに精通した腕利きの時計職人の数は激減していた時期だった。アーネストはスイス中を駆け回り、熟練した時計職人を探し出すことから始めなければならなかった。そしてさらに問題だったのは出会った時計職人たちの多くが、機械式時計の未来に失望していたことだった。皮肉にもエレクトロニクスの専門家だったアーネストが時計職人に対し、「たかだか10年のクオーツが機械式時計を駆逐できるわけがない。機械式時計の真価が見直される時代が必ず来るはずだ。人類が存在する限り、不滅であり、それを可能にするのが我々の使命じゃないか」と、鼓舞し、説得していった。


パイロットと共同開発し“クロノマット”誕生

その新型自動巻きクロノグラフの開発においてアーネストが採った方法は、イタリア空軍のアクロバット飛行チーム“フレッチェ・トリコローリ”との共同開発だった。ブライトリングの製品はプロフェッショナルのための計器であるというブランド哲学を踏襲するために、プロのパイロットたちの意見を徹底的に聞き、クロノグラフのあらゆるディテールに反映させていった。


イタリア北部のリボルト空軍基地を拠点とするイタリア空軍のアクロバット飛行チーム“フレッチェ・トリコローリ”。世界でも群を抜くテクニックと美しさを誇っている。フレッチェは“矢”を、トリコローリはイタリア国旗に由来する“三色”を意味している。

こうして完成させた新開発の自動巻きパイロット・クロノグラフが1983年にフレッチェ・トリコローリの公式クロノグラフとして採用され、その翌年、時計の見本市であるバーゼルフェアで市販用として発表された。新生ブライトリングを象徴する待望の新型自動巻きクロノグラフ『クロノマット』の誕生だった。


1983年にイタリア空軍アクロバット飛行チーム“フレッチェ・トリコローリ”の公式クロノグラフに採用された新型自動巻きクロノグラフ。翌年、バーゼフェアで「クロノマット」として正式に発表。機械式時計を渇望していた多くの時計愛好家から絶賛され、世界中で大ヒットとなる。


もちろんクオーツ全盛期は続いていた。が、それにもかかわらず、本格的な機械式クロノグラフを渇望していた多くの時計愛好家たちはクロノマットを絶賛し、世界中で奇跡的なヒットを記録していった。それは新生ブライトリングの大きな飛躍を意味していただけでなく、その後の機械式時計復活の狼煙でもあった。


次回は、クロノマット誕生の経緯に込められたブライトリングの製品哲学に迫っていく。


2019年に発表された、最新「クロノマット JSP」はこの3本!


クロノマット JSP ローマン インデックス リミテッド[中央] 

1984年の初代クロノマットに搭載され、2004年に登場した“エボリューション”まで続いたライダータブ付きのサテン仕上げベゼルを採用。1996年に発表された「クロスウィンド」譲りのスポーティなローマン・インデックスは、畜光塗料により昼夜を問わず最高の視認性を実現している。自社製キャリバー01の美しいムーブメントを、シースルーバックから見ることができるのもクロノマット JSPでは初めてだ。自動巻き。ステンレススティール、ケース直径44㎜、200m防水。税別90万円。



クロノマットJSP ブラック マザー オブ パール リミテッド[左] 

クロノマットのリミテッド・エディションのなかでも常に高い人気を誇るMOP(真珠母貝/マザー オブ パール)ダイアル。2019年は、中でも人気が高いブラックMOPダイアルにスポーティなバーインデックスを組み合わせ、インダイアルをシックなブラックで仕上げたモデルが登場した。サファイアクリスタル製のケースバックからは、自社製キャリバー 01の美しい仕上げと動きを堪能できる。自動巻き。ステンレススティール、ケース直径44㎜、200m防水。日本限定300本。税別108万円。



クロノマットJSP マザー オブ パール リミテッド[右] 

マザー オブ パールの本来の美しさを堪能できるナチュラルMOPダイアルに、白と相性抜群のブルーMOP仕様のインダイアルをセット。クロノマットの持つスポーティかつマスキュランな印象に、爽やかでエレガントな雰囲気を加えた、300本のみの日本限定モデルだ。サテン仕上げのライダータブ付きベゼルを採用することで、“プロフェッショナルのための計器”というクロノマットの本質がしっかりと貫かれているのは見事。このモデルもサファイアクリスタル製のケースバックからは自社開発・製造のキャリバー01の動きを楽しむことができる。自動巻き。ステンレススティール、ケース直径44mm、200m防水。税別108万円。


◇時計のお問い合わせ=ブライトリング・ジャパン Tel.03-3436-0011
   https://www.breitling.co.jp
 

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