【10月19日 AFP】(写真追加)イスラム教の「犠牲祭(イード・アル・アドハ、Eid al-Adha)」を迎えたトルコ・イスタンブール(Istanbul)のエセニュールト(Esenyurt)地区。シリア出身の少年、モハメド君は、父親と一緒に訪れたシリア人の経営する喫茶店兼肉屋で、指を折りながら得意げにトルコ人の友達の名前を挙げている。「ベダト、セルカン、セファ、エムレ……」

 モハメド君の家族は2年前、内戦が続くシリアから隣国トルコに移って来たが、アラビア語しか話さない両親と6歳の弟は、今も現地の言葉に苦戦している。そんな家族のために、遊びを通してトルコ語を身につけた8歳のモハメド君が、進んで通訳を引き受ける。

 だが、トルコで暮らす100万人を超えるシリア出身の子どもたちの多くがそうであるように、モハメド君の現地社会への溶け込み具合も完璧というにはほど遠い。「トルコは好きだよ。シリアでは戦争があったからね。ここは安全だ。だけど僕、学校に行ったことないんだ。行ってみたいよ」。モハメド君は、はにかみ笑いをしながら、こう話した。


欧州大陸に押し寄せる難民の受け入れをめぐり、欧州の指導者たちが明確な手立てを示せずにいる一方で、難民の中で最も多いトルコにいるシリア人たちは、この先どうすべきか、考えあぐねている。モハメド君の父親、フセインさんは息子の肩に手をかけながら「戦争が終わったらシリアに戻るつもりだ。欧州へたどり着くのはとても難しい」と話した。

■「トルコ人に歓迎されていない」

 トルコには200万人超のシリア難民がいるが、その多くが低賃金労働を強いられ、生活は苦しい。

 ハリルさん(15)は、エセニュールト地区に住む同年代の子どもたちと同じように、家計を助けるため働きに出た。この地区では衣料品や靴、化粧品などの工場で働き口がある。だが、2か月続けていた靴の縫製の仕事を辞めざるを得なかった。雇い主が給料1250トルコリラ(約5万円)の支払いを拒んだのだ。「居住許可証を持っていなかったから、警察に届け出ることはできなかった」という。

 カフェのカウンターでハリルさんの近くに座っていた年上の男性は「ここも祖国と同じようなもの。戦争だ。トルコ人は我々を歓迎していない」と言葉を挟んだ。トルコで「訪問者」という扱いのまま数か月、もしくは数年が経ち、働く権利もなければ、基本的な社会サービスの利用も限られ、この男性と同じように感じているシリア人がますます増えている。

 イスタンブールの目抜き通り、イスティクラル通り(Istiklal Caddesi)でも、シリア難民の窮状に対して一般のトルコ人が次第に無関心になっていることが、はっきりと見てとれる。シリア人の少年が衣料品店の入り口で、小銭を恵んでもらうためにプラスチックの皿を置き、体を丸めて横たわっていても、買い物客たちは皆、目もくれずに通り過ぎて行く。