【11月7日 東方新報】中国・浙江省(Zhejiang)杭州市(Hangzhou)で開催された第4回「良渚フォーラム」の期間中、中国国内外の参加者が良渚古城遺跡公園を訪れ、反山遺跡の発掘現場を見学した。

現地では、浙江省文物考古研究所の研究員で、良渚古城・水利システム遺跡考古チームの責任者を務める王寧遠(Wang Ningyuan)氏が、新たな考古学的成果を発表した。昨年、反山墓地の東側にある盛り土の上で建物跡が発見されたのに続き、今年はこれらの先史時代の建物3棟の復元作業が完了したという。

王氏によると、著名な玉器「玉琮王」が出土した反山王陵の東側で、約5000年前の有力者層が使用したとみられる建物群の配置が徐々に明らかになってきた。中国の初期の陵墓制度を解明する上で、重要な手掛かりになると期待されている。

反山は良渚文化の王陵がある場所で、貴重な玉器「玉琮王」が出土したことでも知られている。発掘調査の結果、反山の盛り土の中央部には3棟の建物が配置されていたことが分かった。最も大きい建物は楕円形で、その周囲に小規模な建物2棟があり、王陵に隣接する特殊な建物群を構成していた。

王氏は発掘区画のそばで、参加者に復元の根拠となった調査結果を説明した。建物の復元を支える重要な考古学的証拠となったのは、地中から発見された120カ所の柱穴だった。

浙江省文物考古研究所の職員、李松陽(Li Songyang)氏は、柱穴を3つのグループに分類し、それぞれをF1、F2、F3と呼ばれる3棟の建物に対応させた。

このうちF1は、柱で床を支える高床式の楕円形建物で、人工的に造成された斜面を利用して建てられていた。建物の周囲には回廊が設けられ、室内の床は回廊の床面より高い位置にあった。

F1は東西25.2メートル、南北16メートルで、建築面積は約316平方メートルに達する。柱穴や焼けた土の痕跡から、F1と円形の建物F2が通路でつながっていたことも確認された。

F2の建築面積は約105平方メートルで、主となるF1よりも小さい。F2の北側に位置するF3は方形の建物で、面積はわずか23平方メートルと、3棟の中で最も小さい。

考古チームによると、建物の平面配置や柱の位置は、実際の発掘で確認された遺構に基づいて復元した。一方、良渚文化の時代の木造建築は、完全な形で残された実物がまだ見つかっていない。そのため、建物上部の梁や屋根を支える構造については、同時代に出土した陶製の家屋模型や、土器に描かれた建物の文様を参考に復元したという。

王陵に隣接する立地や独特の形状、建物の規模から、これらの建物がどのような目的で使用されていたのかに関心が集まっている。

王氏は「楕円形の主な建物は、良渚王陵で祭祀を行うための享殿だったのではないでしょうか。また、周囲の塀を含めた建物群の存在は、良渚の古代国家ですでに初期の陵墓制度が成立していたことを示しているのではないでしょうか」との見方を示した。

ただし、こうした解釈は現段階では考古学上の仮説であり、確定した結論ではないと強調した。

考古チームは今後も発掘を続け、建物の用途を判断するための証拠を探す方針だ。王氏は「居住用の建物であれば、周辺には生活ごみやかまどなど、日常生活に関する遺構が多く残されているはずです。出土した遺物や遺構をもとに、建物が何に使われていたのかをさらに調べていきます」と説明した。

良渚文明では文字が確認されていないため、考古学者は建物や道具などの遺物・遺構を手掛かりに、5000年以上前の社会の仕組みを少しずつ解明している。

今回の調査では、周囲の塀や木製の通路、3棟の建物跡などが次々と明らかになり、反山王陵周辺の空間配置の全体像が徐々に見えてきた。

王陵に隣接するこれらの建物群は、良渚の古代国家における権力構造や祭祀・儀礼の仕組みを解明する上で、新たな手掛かりとなることが期待されている。(c)東方新報/AFPBB News