中国で「4頭立て馬車」岩絵発見 古代馬車の起源に手がかり
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【9月26日 東方新報】中国・寧夏回族自治区(Ningxia Hui Autonomous Region)の賀蘭山岩画保護区で、珍しい「4頭立て馬車」を描いた岩絵が新たに発見された。
岩絵が見つかったのは、賀蘭山の岩絵が集中する重要な地域の一つ、賀蘭口岩画保護区。岩の大部分は地中に埋まり、地表に出ている部分はわずか約15センチだった。絵の大きさは約24センチ×20センチで、4頭の馬が横一列に並び、その後ろに2輪の車が描かれている。
これまで賀蘭山一帯で確認された馬車の岩絵は20点に満たず、いずれも「2頭立て」だった。「4頭立て」の馬車が見つかったのは今回が初めてとなる。賀蘭山の岩肌にはこのほか、羊や鹿、人の顔、狩猟、放牧などを描いた数多くの岩絵が残されている。文字による説明がないため、誰が、なぜこれらを刻んだのかなど、今なお多くの謎が残されている。
岩絵は伝統的な中国研究で中心的な研究対象とされてきたわけではないが、海外の研究者も早くから注目してきた。イタリアの東洋学者ジュゼッペ・トゥッチ(Giuseppe Tucci)氏は、初期には中国研究に取り組み、その後チベットを調査した際、岩に描かれた動物や騎馬人物、戦士などの図像を記録している。
米国の美術史家パオラ・デマッテ(Paola Dematte)氏は、賀蘭口の岩絵について詳しい研究を行った。デマッテ氏は、人面や動物、仏教の銘文など異なる種類の図像が併存し、風化の程度や表現方法にも違いがあることに着目。歴史・考古学資料と合わせて分析し、賀蘭口の岩絵は長い期間をかけて形成され、異なる集団が相次いでこの地で活動し、交流していたとみている。
今回の発見で特に注目されるのが「4頭の馬」だ。これまで確認されてきた2頭立て馬車に比べ、4頭を並べて走らせる構図は珍しい。この配置が何を意味するのかは、現時点では明らかになっていない。研究者は岩絵の年代や用途を正確には特定できておらず、輸送用の車を表した可能性もあれば、戦車を描いた可能性もある。また、4頭立てという構成が当時の身分や階級と関係していたとの見方もあるが、いずれもさらなる資料による検証が必要だ。
一方、この岩絵に描かれた「車」は、中国研究者の間で長年議論されてきた別の問題にもつながる。古代中国の馬車はどこから来たのかという問題だ。米国の中国研究者エドワード・L・ショーネシー(Edward L. Shaughnessy)氏は、「中国における馬車の起源とその歴史的意義」をテーマに研究し、安陽から出土した初期の馬車と中央アジアの車馬遺跡を比較している。その資料には岩絵に描かれた馬車も含まれる。ショーネシー氏は、中国初期の馬車技術が、より西方や北方の地域に存在した馬車文化と関係していた可能性を指摘している。
英国の中国研究者・美術史家ジェシカ・ローソン(Jessica Rawson)氏も、馬や戦車などについて長年研究してきた。ローソン氏は、馬や戦車、それに関連する技術が中国の中原地域へ伝わった背景には、中国北部の異なる集団による長期的な交流があったとみている。
「4頭立て馬車」に似た図像は、賀蘭山だけで見つかっているわけではない。中央アジアやモンゴル、南シベリアのほか、中国国内でも新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)アルタイ地区や内モンゴル自治区(Inner Mongolia Autonomous Region)の陰山山脈などで、類似した車馬の岩絵が確認されている。
遠く離れた地域で、なぜ似た図像が残されているのか。寧夏岩画研究センターの楊恵玲副研究員は、寧夏は中国北西部に位置する一方、古代には重要な交通路が通る地域でもあったと指摘し、「ユーラシア草原文化の連鎖における重要な一環」と位置づけている。
近年は、中国北部の岩絵をより広いユーラシア草原の歴史的背景の中で捉える研究も増えている。各地に残る似たような動物や車、人物の図像は、異なる集団の移動や交流、生業や生活様式と関係している場合がある。
もちろん、今回発見された一枚の「4頭立て馬車」の岩絵だけで、賀蘭山と中央アジアや南シベリアなどの間に直接的な交流があったと証明することはできない。また、馬車がどのような経路で伝わったのかを特定することもできない。
それでも、各地に点在していた資料を比較する上で、新たな図像資料が一つ加わったことになる。古代中国で馬車はどのように登場したのか。馬や車に関する技術はどのように伝わったのか。そして賀蘭山は、中国北部の異なる人々が行き交う中でどのような位置を占めていたのか。
新たに発見された岩絵は、こうした問いを解き明かす新たな手がかりとなりそうだ。(c)東方新報/AFPBB News