【8月14日 東方新報】中国・江西省(Jiangxi%)景徳鎮市(Jingdezhen)の「手工芸磁器産業遺産群」が7月25日、国連教育科学文化機関(UNESCO%%、ユネスコ)の世界遺産リストに登録された。1000年以上の歴史を持つ「磁器の都」景徳鎮が、再び世界の注目を集めている。一握りの土がいかにして美しい磁器へと生まれ変わり、世界各地へ届けられたのか、その歩みをたどる。

江西省景徳鎮市浮梁県(Fuliang)の高嶺山には、高嶺瓷土鉱山遺跡が今も静かに残されている。古道を登ると、採掘跡が今もはっきりと残り、道沿いには石積みで造られた大小さまざまな長方形の土坑を見ることができる。

景徳鎮市浮梁県文化遺産保護センターの馮如勤(Feng Ruqin)主任によると、これらは古代の鉱夫が製磁原料を洗浄・精製するために使った「淘洗池」だという。当初は採掘した原料をそのまま景徳鎮へ運んでいたが、その後は現地で洗浄、沈殿、乾燥などの工程を経てレンガ状の原料に加工するようになり、輸送や保管、取引、計量が容易になった。

この原料は山中の高嶺村にちなんで「高嶺土」と呼ばれる。1869年、ドイツの地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン(Ferdinand von Richthofen)が学術用語として「Kaolin」と命名したことから、高嶺土は世界共通の名称となった。

さらに重要なのが、高嶺土と磁石(磁器石)を組み合わせた「二元配合」の技術である。馮主任によると、元代以前は単一原料で素地を作っていたため、高温焼成時に変形しやすかった。「二元配合」は素地に骨格を与える役割を果たし、大型で複雑な器の焼成を可能にした。明・清時代には、高嶺瓷土鉱山遺跡は景徳鎮最大の高嶺土供給地となり、この技術の成熟を支え、16~18世紀に景徳鎮が世界有数の磁器生産地となる礎を築いた。

土が磁器へと生まれ変わるには、町の窯へ運ばれ、焼成されなければならない。明代の技術書『天工開物』には、「一つの器を作るには72もの工程を経て初めて完成する」と記されている。

明・清時代に皇室御用達の磁器を製造した官営窯「御窯廠」では、品質管理が極めて厳格だった。景徳鎮御窯廠国家考古遺跡公園のガイド、段佳文(Duan Jiawen)氏によると、不合格品はすべて場内で破砕・埋設され、市場へ流通することは許されなかったという。そのため考古学調査では数千万点に及ぶ磁器片が発掘されている。

景徳鎮御窯博物院の翁彦俊(Weng Yanjun)院長は、御窯廠は皇室用磁器の生産だけでなく、人材育成や技術開発、デザイン創出の拠点でもあり、その周辺の民間窯が技術や市場ニーズを取り入れながら発展することで、景徳鎮ならではの製磁産業都市が形成されたと説明する。

完成した磁器は、水運によって国内外へ運ばれた。その物流を支えたのが昌江である。川沿いには、人の字を左右に二つ並べたような形をした三閭廟古埠頭が残り、青石を積み重ねた三段構造の船着き場となっている。

明代初期以降、この埠頭は景徳鎮で最も重要な物流拠点だった。景徳鎮市昌江区三閭廟文化遺産保護ステーションの徐佳梁(Xu Jialiang)所長によると、磁器石や高嶺土、薪がここから町へ運び込まれ、完成した磁器は船で昌江から鄱陽湖、長江を経て国内外へ輸送されたという。「600年以上前、鄭和の大航海で運ばれた大量の景徳鎮磁器も、ここから積み出された」と話す。

江西省社会科学院文学・文化研究所の劉宇(Liu Yu)副研究員は、「景徳鎮が保存しているのは、製磁産業の空間構造と社会システムが一体となった産業エコシステムそのものであり、それこそが世界遺産として評価された最大の価値だ」と指摘している。(c)東方新報/AFPBB News