オーストラリアと中国の国民が共に侵略に抵抗した歴史教訓・中国
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【12月7日 People’s Daily】1943年10月24日、ニューギニア北部のアイタペの町の浜辺で、オーストラリア軍兵士レナード・ジョージ(Leonard George)は両目を覆われ、両手を後ろ手に縛られ、砂浜に跪かされていた。間もなく日本軍将校・安野周夫(Chikao Yasuno)によって斬首刑に処されようとしていた。彼の背後には、見物に集まった先住民と警戒に当たった日本兵が立ち並んでいた。
この写真は米軍が偶然発見し、オーストラリア側に渡され報道されると、オーストラリア国民はようやく戦争中の日本軍の残虐行為を知ることになった。「捕虜処遇の規範や国際条約(ハーグ陸戦条約など)」は一度も遵守されず、ましてや捕虜を人道的に扱うなどという話は存在しなかった。それどころか、日本軍は東南アジア戦線のオーストラリア人捕虜に対し、最も残酷な手段で接し、昼夜を問わず労働を強いた。命令に従わない者や老弱病者は即座に殺害した。
写真に収められた兵士レナード・ジョージの死を恐れぬ不屈の姿は、オーストラリア国民の強い愛国心を呼び起こした。この写真に鼓舞されたオーストラリア軍とアメリカ軍は、ニューギニア島を占領した10万人余りの日本軍に対して全面的な反撃を開始し、最終的にニューギニアを足掛かりとしての日本軍のオーストラリア攻略の企てを粉砕した。
オーストラリアが対日戦争に参加したのは、民族の存亡と人類の反ファシズムの正義の事業のためであった。第二次世界大戦中、日本は「南北並進」の侵略拡大戦略を推進したが、陸軍の主力は中国戦線にくぎ付けにされ、海空戦力を「南進」に充てるしかなかった。東南アジアが陥落した後、オーストラリアは天然資源が豊富で地理的に近いことから、当然のように日本の「南進」の重点目標となった。
マレー半島では13万人の英豪連合軍が日本軍に降伏を余儀なくされ、うち1万5000人のオーストラリア軍将兵が日本軍による拷問を受け、8000人以上が死亡した。42年2月、日本軍は大量の航空機を動員してオーストラリア北部の都市ダーウィンを激しく爆撃し、多数の民間人の死傷者が出た。43年、日本軍はオーストラリア軍の防衛下にあるニューギニア島への攻撃を開始し、米豪の連絡を断ち切ってオーストラリアを全面併合しようと企てた。日本軍の侵略行為はオーストラリア国民の怒りを喚起した。当時、総人口わずか700万人余りのオーストラリアで、なんと7分の1以上の民間人が前線に赴き日本軍の侵略に抵抗したのである。
日本軍国主義と西洋諸国との矛盾は根深いものであった。明治維新以降、日本の経済・軍事など各方面の実力が全面的に増強されると、中国およびアジア侵略を中核とする「大アジア主義」が急速にまん延し、侵略拡張の軍国主義の道を歩み、太平洋沿岸全域を植民地勢力圏に組み入れようと企てた。当時の日本は、米国の「門戸開放」政策に断固反対し、極端な民族主義思想と軍国主義理念の影響下で、日本の兵士は次々と狂信的な軍国主義者になった。彼らは自国の利益を他国の利益より優先させ、銃口を西洋にも向け、最終的に奇襲攻撃で戦争を開始し、太平洋全域を支配しようと企てた。
中国とオーストラリアの抗日闘争は、国際反ファシズム統一戦線の歴史的な意義を共に示したものだった。41年12月、日本軍が太平洋戦争を開始すると、半年も経たぬうちに東南アジアを占領した。国際反ファシズム統一戦線の形成に伴い、米英ソなどの国々は、反ファシズムの東洋の主戦場としての中国の地位と役割をより重視するようになった。
太平洋戦争初期、米英豪などが劣勢に立たされる中、中国戦線は日本陸軍の大部分と相当な海軍の戦力を中国大陸にくぎ付けにし、日本軍の「南進」計画を何度も修正せざるを得なくさせた。
42年夏、日本大本営はニューギニアのモルズビー港作戦を発動し豪米の戦略的連携を断とうとしたが、中国戦線から十分な兵力を引き抜くことができず、補給困難のため失敗に終わり、連合軍は太平洋戦争初の陸上戦の勝利を収めた。
43年までに、日本はミッドウェー海戦とガダルカナル島の戦いで相次いで敗北し、陸軍の増援を急務としたが、当時の日本陸軍主力は中国戦線の深い泥沼に陥り、それが米英豪連合軍の島嶼(とうしょ)奪還への抵抗力を大幅な軽減につながった。
オーストラリア軍の抗日戦闘は世界反ファシズム戦争に重要な貢献を果たし、中国戦線と東南アジア戦線において重要な牽制効果を発揮した。太平洋戦争期間中、オーストラリアは約100万人の軍人を派遣し、東南アジア、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ニューカレドニア(などで戦闘を展開し、日本軍の戦力を効果的に打撃し、日本のさらなる拡張を阻止した。また自国の豊かな資源を活かし、連合軍に豊富な軍事物資や後方支援の資源も提供した。
歴史を振り返れば、オーストラリア国民と中国人民は、手を携えて共通の敵に反撃を加えたと言える。今日、我々は民族の独立と反ファシズムの正義のために先人たちが流した貴い血を決して忘れず、日本の反動勢力が侵略者としての実態を「被害者」と偽装するような言動に警戒し、侵略を美化したり、暴行を否定したり、歴史を改ざんする動きを共に阻止すべきである。80年前の歴史は、今日の国際秩序と世界平和を守るためには、東洋と西洋の区別なく、悲惨な歴史の再現を共に防ぐべきだと教えている。(c)People’s Daily /AFPBB News