【12月4日  People’s Daily】盛夏真っ只中、海南省(Hainan)瓊海市(Qionghai)の「中国(海南)南海博物館(China Hainan Museum of the South China Sea)」には多くの見学者が訪れ、一日当たりの来館者数は平時に比べ約5割増加した。

館内で最も人気を集めていたのが、「深藍の宝蔵―南シナ海北西大陸棚1号・2号沈没船考古学成果特別展」の展示室だ。展示室には、金箔貼りで孔雀と牡丹の文様が透かし彫りになった琺華(彩釉陶器)の大きな壺が静かに佇んでいた。その美しい釉薬の色合い、透かし彫りと金箔貼りの技法は見る者を驚嘆させる。しかし昨年まで、この壺は10万点以上の陶磁器や輸入木材と共に、水深約1500メートルの深海の底に「眠っていた」のである。

「深海探査艇のモニターで南海北西大陸棚1号・2号沈船遺跡を初めて目にした時には、我々全員が衝撃を受けた。そこはまるで時(とき)が封じ込められた『宝箱』のようで、非常に良好な状態で保存されていたからだ」、こう話すのは同博物館の辛礼学(Xin Lixue)館長だ。2022年に始まったこの考古学的発見は、中国の水中考古学が浅い海域から深海に進出する歴史的なブレークスルーを象徴している。
  
■重要技術のブレークスルーで、より深い海へと進出

22年10月23日、快晴、有人潜水艇「深海勇士号」は500回目の潜航任務を遂行中だった。突然、潜航員が「大量の陶器のかけらを発見!数えきれないほどある!」と驚きの声を上げた。

この時、「深海勇士号」は海南島の南東海域、三亜市(Sanya)から約150キロの地点にいた。ここは「南海北西大陸棚」と呼ばれる海域で、2隻の古代沈没船の発見は世界を震撼させた。これは中国が初めて約1500メートルの深海で明代の沈船遺跡を発見した事例となった。1500メートルの深度とは、何を意味するのか?そこは一年中暗闇に包まれた「深海の無人地域」であり、巨大な水圧は潜水士が耐えられる限界をはるかに超えている。「18年より以前は、中国の水中考古学は基本的に深度40メートル以内の浅い海域に限定されていた。深海考古学は浅海考古学とは違い、科学技術の支えが不可欠だ。これまで深海は考古学上の空白地帯だった」と辛館長は言う。

極限の環境は巨大な挑戦をもたらした。南海北西大陸棚沈没船遺跡考古学調査プロジェクトリーダーの宋建忠(Song Jianzhong)氏は「今回の考古学的発見は、非常に稀なもので、このような深海考古学は、我々にとって前例ない挑戦だった。この挑戦を成し遂げることができたのは、10年以上をかけて開発された『先端技術』のおかげだ」と語った。

09年、中国で2機目の深海有人潜水艇「深海勇士号」が正式にプロジェクト化され、17年10月に海上試験に成功し、中国科学院深海科学・工程研究所に引き渡された。中国が完全に独自開発し国産化率95%以上を達成したこの有人潜水艇は、8年間にわたる技術開発を経て、チタン合金製の乗員カプセルの耐圧殻球体、深海用浮力材、低騒音スラスターなどの重要技術にブレークスルーを果たし、その作業能力は水深4500メートルに達した。これにより、中国の考古学者は初めて水深1000メートルより深い海底世界を探査する能力を手にしたのである。

■63回の潜航、数百年の眠りから文物引き揚げ

「23年10月1日、中国南シナ海北西大陸棚沈船・第二段階考古学調査、平均風速約13ノット(時速24.1メートル)、潜航深度1500メートル超え」、張凝灏(Zhang Ninghao)氏はこの任務の潜航科学者であり、今回の沈船遺跡考古学調査プロジェクトの副リーダーでもある。母船「探索二号」から分離後、「深海勇士号」は分速35メートルの速度で潜航を続けた。陽光は厚い海水層を透過できず、周囲は一片の暗黒で、船内の温度も次第に低下していった。40分余り経った後、潜水艇は軽く海底に接触した。着底の瞬間、潜水艇のライトが点灯した。南シナ海北西大陸棚2号沈没船遺跡が眼前に現れた。全長約21メートル、最大幅8メートル。一列に並んだ黒檀(コクタン)の木材が南北方向に整然と並んでいた。

1号沈没船には景徳鎮(Jingdezhen)産の陶磁器が満載され、2号沈没船には海外から運ばれた黒檀が満載されていた。宋リーダーは「1隻は中国からの輸出、もう1隻は輸入の途中で沈没した船と見られる。これは古代の海上シルクロードの双方向の貿易の繁栄を実証するもので、南海航路の歴史的な連鎖を補完するものだ」と説明した。
 
潜航員の操作で「深海勇士号」は遺物にゆっくりと接近した。これに先立ち、考古学調査の専門家らは引き揚げる準備を行う遺物をあらかじめ特定していた。張氏は対象の遺物を指示し、潜航員がロボットアームを操作して回収を行った。

有人カプセルの外側の2本のロボットアームの先端には「機械手」が接続され、そのうち1本の先端には柔軟な素材のグローブが装着され、数百年の眠りに就いていた遺物を慎重に優しく持ち上げた。この動作は一見「UFOキャッチャー」のようだが、実は非常に高度な技術が詰め込まれている。外付けの高精度カメラが有人潜水艇の作業状況を記録する。高精度な位置決めと高解像度の画像データ、3次元スキャンデータ、物理探査による測量データの収集、結合、レンダリング(画像生成)により、考古学者は沈没船遺跡の平面図を作成することができる。

23年から24年にかけて、3段階に分けた考古学調査は、合計70日間の海上作業を行い、63回の潜航を実施した。こうして、海底に眠っていた「遺されていた貴重な宝」合計928点(組)が引き揚げられた。しかしこれは膨大な水中遺物のほんの一部に過ぎない。さらに多くの遺物が、将来の発掘を待って静かに待っているのだ。(c)People’s Daily /AFPBB News