【11月30日  People’s Daily】「私がどれほどあなたを愛しているか? 数え上げてみせましょう」――英国の女流詩人エリザベス・バレット・ブラウニング(Elizabeth Barrett Browning)のこの一節は、私の胸にいつも静かに響いている。

中国を語るときの私の気持ちをこれ以上うまく言い表す言葉を、私は他に知らない。クリス・ナッシュ(Chris Nash)――英中了解協会(Society for Anglo-Chinese Understanding)の元主席として、十数年を中国で過ごした者として、この国への思いを語り始めれば、話は尽きることがない。

中国で生活し働いた10余年を振り返ると、次々と美しい光景が脳裏を駆け巡る。

北京市の曲がりくねった「胡同(古い建築様式の民家)」で老人たちのとりとめもない雑談に耳を傾けたこと、四川省(Sichuan)広漢市(Guanghan)の「三星堆博物館(Sanxingdui Museum)」で古代文明に震撼させられたこと、ハニ(哈尼)族の棚田のほとりで雲南米線(米粉の麺)をもりもりと食べたこと、甘粛省(Gansu)敦煌市(Dunhuang)の月牙泉のほとりで、袖に溜まった細かい黄砂をはらったこと、そして、これら全てのかけがえのない思い出の中でも、最も強く印象に残っているのは、一人ひとりの笑顔だ。熱意に満ちた、恥じらいのある、率直な、毅然とした笑顔だ。どこへ行っても、私を迎えてくれたのは、常に善意に満ちた顔ばかりだった。この真心のこもった素晴らしい中国人民こそが、私がこの地を愛する真の理由なのだ。

その中で最も忘れがたい人物が、盧彩文(Lu Caiwen)老先生だ。私は先生と2019年、雲南省(Yunnan)騰冲市(Tengchong)でのイベントで知り合った。当時、老先生はすでに90歳を超えていたが、なおも矍鑠(かくしゃく)とし、双眸(そうぼう)は輝いていた。そしてその伝説的な経歴が一瞬で私の心をとらえた。老先生は戦闘の英雄であり、中国近代史における最も暗澹たる時期、すなわち日本帝国主義が中国の大地で猛威を振るい、ついには中国全土を占領すると脅かした時期に青春時代を過ごした。日本軍が雲南省西部の滇西(Dianxi)に侵攻すると「三光政策(焼光・殺光・搶光)」を実行し、若き日の老先生は幾度となく様々な惨劇をその目で目撃した。

老先生は当時、初等中学校をまだ卒業していなかったのだが、それでも決然と軍学校を受験し、中国遠征軍に加わったと語ってくれた。「国に必要とされれば、たとえ命を捧げることも厭わない」「一途な愛国心で、我々は皆一日も早く戦場に立ちたいと思っていた」という気持ちだったと語ってくれた。

老先生は中国遠征軍と共に、日本侵略者に対する勇敢な抵抗戦を幾度となく繰り広げた。1944年の騰冲の戦いについて話す時、彼の感情は常に格段に高ぶる。その凄惨な戦闘において、中国遠征軍は9168人の戦死者を出した代償として、抗日戦争始まって以来初めて都市の奪還に成功したのだ。当時、傍らで次々と倒れていった戦友たちを思い起こし、老先生の両眼は涙で満たされ、声も悲しみで震えた。

「来鳳山で日本軍が我々の防衛線を破った。我々戦士たちは敵の砲火を物ともせず、血肉を盾に一寸一寸山坂を這い登り、戦略的優位を再び奪い返した」、老先生はこのように回想する。今日、来鳳山のふもとの国殤墓園(戦没者墓地)には、当時犠牲となった中国遠征軍の将士たちが眠っている。老先生は、数日おきに墓園に花を捧げ、戦友たちへの哀悼の意を表していると教えてくれた。

老先生の話を聞きながら、私の思いは自然と、長年私の心を揺さぶってきたもう一つの情景へと移った。盧氏が敵の砲火の中艱難をきわめて来鳳山を這い登った1944年、そこから万里も離れたイタリアでは、私の祖父アルフレッド・ナッシュ(Alfred Nash)もまた、ナチス・ドイツの攻勢に抵抗し、カシーノ山へと突撃していたのだ。カシーノの戦いはヨーロッパ戦線において非常に重要な戦いだった。同様に騰冲の戦いの勝利も、ビルマ(現ミャンマー)戦場の勝利を強力に後押しした極めて重要な戦いであった。両戦役ともその凄惨さは驚くべきもので、世界反ファシズム連合国の軍隊と人民の不屈の意志を一層際立たせるものだった。

盧氏は当時、無数の中国人民の一人に過ぎなかったが、その物語は、中国人民が信じがたいほどの勇気と国と家を守る献身精神をもって、世界平和の防衛のため巨大な貢献を果たしたことを、ある側面から映し出している。私の見るところ、歴史学界、特に西洋の歴史学界では、中国が「世界反ファシズム戦争」において果たした役割と貢献について、まだ十分に研究していないように思う。まさに中国人民の頑強な抵抗が、日本軍の主力を常に中国戦場に釘付けにし、日本軍が太平洋戦線に投入できる兵力を大幅に削弱し、連合国がナチス・ドイツを撃破することに集中するための重要な「戦う余力」を提供したのである。歴史は盧彩文氏とその戦友たちを、世界をファシズムの手から救い出すために果たした重要な役割とともに、しっかりと記憶すべきなのだ。

つい先日、盧彩文老先生が昨年末に逝去されたことを知り、私は大きな悲しみに包まれた。そして、私の脳裏には、盧彩文老先生と亡き私の祖父が肩を並べて立つ姿が思い浮かんだ。人類の平和を守るという「偉大な事業」のために戦った二人の老人が、もしも出会っていたら、二人はきっと親しい友人になっていただろう。私の祖父は私のように「盧彩文の物語」に真剣に耳を傾けたことだろう。そして二人の眼には、同じ輝きが宿っていたに違いない。それは残忍なファシズムに対する決して屈しない意志、そして平和と正義を断固として追い求める「人間性の光」であろう。(c)People’s Daily /AFPBB News