「チベットの源流」を尋ねて:山南に息づく文化融合の遺伝子
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【11月22日 People’s Daily】ギリシャの首都アテネを発ち、北京で乗り継ぎ、チベット自治区(Tibet Autonomous Region)のラサ市(Lhasa)に到着するまでには17時間を要する。エーゲ海の畔から雪の高原へ、5つのタイムゾーンを跨ぐ旅は、確かにあまりにも遠いものだ。数千年前の古代人にとっては、まさに想像を絶する山越え海渡りの旅であっただろう。
ところが、チベット山南市博物館(Shannan Museum)には、東西文化交流の不思議な縁を映し出す収蔵品がある。それは6世紀から7世紀頃の品物で、ギリシャ神話に登場する酒神ディオニュソスをあしらった金メッキした銀の皿である。この皿はギリシャの神の物語を語るとともに、中華文明とギリシャ文明の交流の歴史を静かに伝えている。
山南市はチベット自治区の南部に位置し、ガンディセ山脈の南に位置することからその名が付けられた。この地を車で巡ると、数多くの「最初」を尋ね当てることができる。チベット最初の寺院、最初の仏堂、最初の経典などだ。ソンツェン・ガンポがラサにチベット初の統一王国「吐蕃(Tubo)」を樹立する以前、歴代のツェンポ(王)の統治の中心は常に山南のヤルン川流域にあり、ここはチベット民族の揺籃の地、チベット文化の発祥地の一つと考えられている。
悠久で重厚な歴史の蓄積を基に、山南は1995年にチベットで最初の博物館を設立した。酒神の皿のほかに、この博物館で記者を惹きつけたもう一つの品は、皿と同時代のサーサーン朝の銀貨だ。山南市博物館のドルマ館長の話によると、サーサーン朝は古代ペルシャ(現在のイラン)に建国され、ユーラシア大陸をつなぐシルクロードの要衝に位置していた。山南で出土したサーサーン朝銀貨は、チベットがすでに「高原のシルクロード」を通じて中央アジア地域と直接的・間接的な往来があったことを証明している。
ドルマ館長は記者に「多くの文化的交流、融合の物語が展示品の中に秘められている」と語った。彼女は展示ケースの間を縫うように歩きながら、まるで宝物を数えるように「これらの仏像を見てほしい。その顔の特徴、頭飾り、衣装には強い南アジアの様式が見られる。これらのチベットの仏画・タンカ(唐卡)にはネパール文化の影響が見える。このサンスクリット語の経典は、主に熱帯と亜熱帯に生育するコウリバヤシの葉に書かれている」と一つ一つ詳しく説明した。
彼女は「チベット文化の形成は、さまざまな文化を取り入れ、蓄積してきた過程であり、中原(中国文明の中心地)や南アジアなどの文化の影響を深く受けながら、徐々に独自の様式を築いてきた。これは文化の交流であり、融合でもある」と語った。歴史が証明しているように、高原の寒冷で過酷な自然条件は、ここに住む各民族が外界と交流や往来をする歩みを阻むことはできなかった。彼らは季節を選び、吹雪や厳しい寒さを避け、地形や水草の分布の特徴を巧みに利用するという知恵を働かせ、様々な地域や文明へと通じる道を切り開き、維持してきたのである。
「タシデレ(チベット語の祝福の言葉)、何をお求め?」「ナマステ(こんにちは)、そこで売っている毛布を見せて」、これは昨年12月に「ヤルン物々交換会」で交わされた会話の一幕だ。山南の地元民がネパール人商人の露店で商品を選びながら、互いに相手の民族の言葉で挨拶を交わしていた。「吉祥如意」を意味する「タシデレ」は、チベットのどこでも耳にする言葉であり、「ナマステ」は南アジア地域で使われるあいさつ言葉だ。長年の交流の中で、これらは国境地域の人びとが交流する際の日常語になっている。
44回目を迎えた「ヤルン物々交換会」は、山南で毎年行われる重要な商業貿易交流のバザールで、チベット地域の特色ある製品を展示する窓口であると同時に、チベット地域の産物や文化を結ぶ架け橋でもある。「タシデレ」と「ナマステ」の声が交わされる中、多くの手が握られ、数多くの取引が成立し、数多くの友情が築かれ、交流が深められてきた。昨年の「ヤルン物々交換会」の成約総額は約7億人民元(約150億7800万円)に達した。
周辺との経済貿易の往来がますます活発になっているだけでなく、「チベットの源流」の地として、今日の山南は世界中のチベット文化愛好家を惹きつけている。特に毎年夏季に開催される「ヤルン文化観光節」の期間中は多くの人たちがこの地を訪れる。山南市扎囊県の「敏珠林寺」で、記者はオーストラリアから来た夫婦に出会った。ヘンリエッタ・マニング(Henrietta Manning)さんは画家で、今回初めてチベットに来たという。彼女は「ここの建築、歴史、宗教、そして人びとの生活様式の全てに惹きつけられた」と話す。
記者は彼女の旅行スケジュールを見た。オーストラリアのタスマニア州の州都ホバートからチベットに到着するまで、彼女は飛行機を3回乗り継ぎ、さらに西安市(Xian)から汽車に乗って高原まで上がってきた。「これは私にとって忘れられない旅だ」、彼女はそう語った。
ラサなどに比べると、山南の国際的な知名度はまだやや劣るかもしれない。しかし、マニングさんと同様に、ここを訪れる人は誰でも、まるで時空を超えたかのような感覚を覚えるだろう。文化交流、往来・融合の歴史的痕跡が、この地の隅々にまで行き渡っているからだ。それはまさに、千年にわたって流れ続けるヤルン川の水が、山南でヤルンツァンポ河に合流した後、雪山を越えて、はるばる広大な海へと向かっていくかのようである。(c)People’s Daily /AFPBB News